2016年11月10日

#べっぴんさん あらすじ&私評 第34回:「甘えるな」ではなく「上手に甘えよ」  #NHK #朝ドラ

そう、いきなり売り上げに結びつかなくてもいいんだよね。 


<五十八を闇市の店に尋ねるすみれ。潔と栄輔はあちこち飛び回っているらしい。そんな忙しい中に会えた、運命だ、と大げさに喜ぶ栄輔。

宿題の答え、として
「私たちにしか作れない場所があるってことです。明美さんの知識を利用して、ベビー相談室を作ろうかと」
子育ての悩みを抱えているお母さん達が気楽に相談に来れる場所にしたい、お母さん同士の交流の場にもなる、売り上げに結びつくかどうかは分からないけど、継続的に人が来るようになるのでは、と説明するすみれ。
「なんっっちゅうええ考えや!!」
大げさなほどに感嘆する五十八。すぐにでも始めたらいい、と励ます。
 
すみれが帰ってくると、先日もいた女の子がウインドウの紺のワンピースをまたもやじっと見ていた。声をかけるすみれ。着てみる?と言うと、目を輝かせる女の子。
店の中で着せてやる。みゆきという名の女の子は、入学式に着たいと思いながらそのワンピースを見ていたらしい。それなら、と入学式に着せてあげる約束をして、サイズ直しに取りかかるすみれたち。
作業をしながら、良子が作った型紙の優れていることに改めて感嘆する君枝。どうしているんだろう、と良子を思いやるすみれ。開店の前にたくさん作ってもらった分のお金を届けることにした。
  
 
勝二は職探しが上手くいっていない。深夜、家にも戻らず屋台で酒を飲みながら愚痴る勝二。
  
すみれが帰宅すると、ゆりがいる。そして、最近は潔達も留守が多いし、今のところ自分のできることもあまりないので、しばらくここに居てもいいかな、というゆりを歓迎するすみれ。
  
勝二はついに一晩帰ってこなかったらしい。ため息をつく良子。そこへすみれが訪ねてくる。
ドングリパンを作るといって、拾ってきたドングリの袴を取る作業をしながらすみれと話す良子。君枝が戻ってきたことを報告するすみれ。みゆきの入学式にワンピースを着せてあげることにしたことも話す。
「喜んでくれる子が着てくれるといいなあ」

民江が良子の型紙の技術を褒めていた、といいながら良子にお金を差し出すすみれ。だが良子は、勝手に辞めて迷惑をかけたのだから、と固辞。
 
そこへ勝二が帰ってくる。良子が声をかけてもろくに返事もしない。寂しそうにうつむく良子を見て事態を察し、心を痛めるすみれ>
  
このドラマはけっこう私にとってヒントが得られるのかもしれない。商売とかがほんとに苦手な私だが、レギュラーの仕事を自ら減らしてしまった今、広い意味では自ら商売をしなければいけない状態になっている。五十八さんの教えやすみれの実践を見ながら、取り入れられるところは取り入れたいかな。
  
大概の場合、「いい朝ドラ」はなぜかタイミング良く、私にとってそのとき必要なレッスンを与えてくれる。
  

***
勝二はたしかに甘えなさすぎ、かもしれない。良子よりだいぶ年上ということもあって余計にそうなのだろう。
甘える甘えないの問題はけっこう難しい。人に迷惑をかけるとかかけないとかもそうだ。大方の場合、人は、「他人に甘えちゃいけません」「他人に迷惑をかけてはいけません」と言われて育つことが多いだろう。基本的に放任の家庭であっても「何をやってもいい、けれど人に迷惑だけはかけるな」とよくある台詞として、言う。
原則としてそれは間違ってはいない。迷惑をかけられた、と感じた側は不快になるだろうしね。いい加減にしてよ、人の迷惑も考えてよね、と。
  
けれど、迷惑をかけたり甘えたりするのもときには必要ではないか、とさえ思うことがある。なにしろ何度も言うように、人は「だれかのためになりたい」と思って生きる存在である。それが根源的欲求だと私は信じている。どこかの時点でそれが上手くいかない体験をして、少しずつ歪んでしまったりするのだ。その結果として、一切他人のことを考えない、自分の欲だけに忠実、という人もできあがってしまうかもしれないが、そういう人とて、自分が他の誰かを喜ばせられたという体験をしたら心の奥底でなにか動くものはあるだろう。
  
だから逆に言えば、甘えたり人を頼ったりするのは、相手のそういう欲求をかなえる「良い行い」である(笑)。インドでは物乞いが、相手に功徳を積ませるのだと開き直っていると聞いたことがある。でもそれもあながち無理矢理でもない。
  
もちろん物事には限度があり、あまりにも甘えすぎ、あまりにも迷惑かけすぎではよろしくないだろうが。
だが、過ぎたるは及ばざるがごとし、の逆、及ばざるは過ぎたるがごとし、というのもまた真実であろう。
甘えるな迷惑かけるなと教え込まれ、まじめな人はそれをかたくなに守ろうとして、結局倒れてしまう。

よくあることは、頑張りすぎて倒れてしまったら、かえって大きな迷惑が周囲にかかる、というようなことだ。しばらく休んで元気になるほうが、完全に身体を壊して辞めてしまうよりマシ。周囲の人がその甘えを受け止めるキャパシティがある範囲でとどまっているうちに甘えよ!
  

甘えるのもまた難しいことではあるのだけれどね。甘えない迷惑かけない、とかたくなになるより、上手な甘え方、迷惑のかけ方(?)ができるように心がける方がいいのではないか。家庭でも子供に、甘えるなと言うのではなく、上手な甘え方の出来るように教育する方がいいのではないかしら。 

もちろん、必須なのは「感謝」だけれどね。口先だけではない心からの感謝。助けてくれてありがとう、と言い、そして相手が「助けさせてくれてありがとう」という気持ちになれるなら万々歳。



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2016年11月09日

#べっぴんさん あらすじ&私評 第33回:居場所は視点を変えれば見つかる  #NHK #朝ドラ

そう、バナナ、貴重品だったのよね。

<お店には戻らないという決意をすみれたちに伝えた、と昭一に話す民江。昭一はほっとした様子。
  
浅田が気合いを入れて進駐軍から持ち帰ってきたバナナを民江に届けようとするすみれたち。だが君枝の具合はさらに悪くなっている。面会は叶わない。バナナだけを昭一に渡す明美。そして、看護婦としての経験から、気がついたことがあると話す。
「人を元気にするのは、希望です」
現状維持ではなく、元気になればその先に待っているものがあると未来を夢見ることが一番人を元気にする。病弱だった君枝もかつて、昭一の訪問を心待ちにして希望を持っていた。
それでも簡単にはいとは言えない、と昭一。
「それは分かります…みんな、君ちゃんが大切やから…」
とすみれ。
はっとした顔になる昭一。
  
すみれたちが店に戻ろうとすると、近所の女性達が立ち話をしている。そのうちのひとり時子は、最近急に子供の夜泣きが酷くなっていると話している。それを聞いたすみれたちは、栄養状態などを聞くがそれには問題ないようだ。ちょっときて、と店に時子を呼んで、通気性のある肌着を近所のよしみ、とプレゼントするすみれ。
  
浅田は、買ってくれるお客さんはほとんど玲子(かつて米兵と一緒に来た派手な女性)とその友達だ、もっと色んなお客さんに来てもらわなければ、とすみれたちに話す。
 
それを五十八たちに相談に行くすみれ。
自分たちならではのなにかを見つけられるかどうかだ、と五十八。最低でも三つは言えないと。
母親の気持ちが分かる、赤ちゃんのために作り方にもこだわっていい生地を使ってる、とすみれ。だが3番目は、と言われてすぐに出てこない。
「宿題や」
と五十八。
  
君枝の病室にいる昭一。目覚めた君枝に、落ち着いたら外出してもいいと医者が言っていた、と伝える。そして君枝を見つめてなにか物思う昭一。 

 
三つ目の宿題を考えながら白湯を飲んでいるすみれと明美、浅田。
そこへ君枝が昭一に伴われてやってくる。退院したわけではなく一時外出だが、昭一が、君枝が元気になれる場所に連れて行ってくれるといって考えたら、ここだった、と。元気になった?とすみれに聞かれ、なったなった、と笑顔の君枝を見て
「やっぱり…君枝には…ここが必要なんやな」
と昭一。
「楽しく生きるために…」
だがまた倒れたり無理したら…と心配する昭一。だが明美が、戻ると言っても前のようには行かない、一日せいぜい4時間、それも毎日ではなく。
私がちゃんと見ています、と明美。私も!とすみれ。
よろしくお願いします、と頭を下げる昭一。ありがとう!と半泣きの君枝。
  
時子がやってくる。すみれがあげた肌着を着せたら夜泣きしなかった、と嬉しそうに報告に来る。
「このお礼は、いつか必ずするわ、待っとってな!」
それを見ていた浅田が
「まるでベビー教室ですね」
すみれははっとして声を上げる。
「それよ!」
  
一方良子は、職探しに出かけるらしい勝二に声をかけるが、お前は心配しなくていい、と多くを語らぬ勝二>

まさに隔世の感。かろうじて(?)私もバナナが貴重品だった時代を知っている。幼い頃は、親戚を訪ねたり、あるいは自分が風邪を引いて熱を出したり、という「特別なとき」にしか食べられなかった。バナナが食べられる!と思うと熱が出るのも嬉しい、という(^_^;)。寅さんみたいなバナナのたたき売りもそうでなければ成り立たないよね。今のバナナの安さたるや。
これもある意味、「諸行無常」の象徴かも。ものごとは、どう変わるか分かりゃしない。だからこそケセラセラ。そしてそこに「希望」だけが必要。
  
人は希望によって元気になる、というのは本当だと思う。
現在恵まれていても、せいぜい現状維持ということしか思えなければ元気になれない。自分の今いる地点から、新たな地平に船出するイメージが持てなければ人間は活力を失ってしまうのだ。
  
  
民江が働き方をセーブしつつも復帰するというのは予想通り。昭一さんが本当に相手を思いやれる人で良かったね。このドラマにも基本的には徹底的に嫌な奴が出てこない。横暴に頭から何かを決めつける人が出てこない。その点は非常に気に入っている。闇市元締めの根本さんだって(その後のことはまだはっきり語られていないが)聞く耳持たぬ横暴な人ではなかったようだし、五十八さんは言うまでもなく、そして昭一さんも。琴子さんも現時点までではやたらな主張はしていないし。今までのところ唯一腹立たしかったのは五十八さんのお兄さんだったけど、彼にしても(もし今後出てくるとすれば)芯から嫌な奴ではないのだろう。
  
  
最初に思ったとおり、 良子もやはり未だに居場所を求めてあがいている。彼女は勝二さんが、自分を思いやってのこととはいえ、自分を頼ってくれないことが寂しい。店でも客に叱られて自信を失っているし、自分がどうやったら何かの役に立つのか見失っている。
役に立つ立たないという軸でばかり語るのもいいとは思わないが、しつこく言うがやはり人は何かの形で自分がだれかの役に立っている、あるいはだれかが自分を求めてくれている、と感じられないと生きられないのだ。
  
 
話はぶっとぶが、秋葉原の大量通り魔殺人とか、異常な犯罪がここのところしばしば起きるが、私はこれこそが「人は自分の居場所を探す」ことの、悲しい形の表れだと思っている。秋葉原の犯人はネットですら自分の存在が無視されはじめたことで精神のバランスを崩した。劇場型犯罪とよく言うが、彼らは、こんなに酷い、マイナスそのものの形であってさえも、自分の存在したことを世の中に刻印したかったのだ、と思う。やったことは異常だが、心理の成り行きは必ずしも異常ではない。歯止めがかけられなくなってしまっただけだ。
  
しかし自分の居場所を見失っている人は、そう、文字通り「見失っている」だけで、「ない」のではない。
そういう人は往々にして、何か自分以外のものに過度な「期待」をかけ、その勝手な期待が裏切られて被害者意識を持ち、「どうせ私が」という意識を育ててしまう。それがあるはずの「居場所」を隠してしまう。自らの手で、その過剰な期待や被害妄想を振り払わなければならない。
  
  
身体と同じように、精神の強さにも個人差はある。けれど、本当は精神が「強い」必要も実はない。ただ、冷静に、落ち着いて、不必要なものを取り払い、正直に、客観的に、自分や周囲を正しく見る目を取り戻しさえすればいい。視点を変えるだけでいい。民江が自分の弱い身体に合わせた働き方をしようとするように、精神がたとえひ弱であっても、生きる道は見つけられる。
posted by おーゆみこ at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | べっぴんさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月08日

#べっぴんさん あらすじ&私評 第32回:勤勉は美徳どころか罪(?)  #NHK #朝ドラ

頑張りすぎちゃあかん。

<仕事のことを昭一に知られてしまった君枝。身体を心配する昭一は反対するが、君枝に懇願され、結局許した。

あさやにやってきた君枝を見て喜ぶすみれたち。今度は責任を持って働く、と言い、すみれたちも受け入れる。

翌朝、すみれがあさやに行くとすでに、かつてもたくさん買ってくれた派手な女性がまた来ていて明美が接客している。友達の赤ちゃんに会いに行くので、朝早くから無理に開けてもらった、と言いながら今回も大量に買っていく女性。

テーブルクロスができなかったことを埋め合わせるかのように根を詰めてよだれかけなどを作る君枝。

よくご主人が許してくれましたね、と浅田。君枝達は恋愛結婚なのだ、とすみれ。小さい頃から身体が弱かった君枝が入院していたとき、木から落ちて怪我をした昭一が同じ病院に入院してきて、そこで知り合ったという。
昭一の家族には(交際を)反対されたが、昭一が説得し守ってくれた、といい
「昭一さんのおかげで…信じられないほど、幸せです」

「羨ましいわ」
と明美。つい明美の顔をしげしげ見る浅田とすみれ。
  
自宅でも君枝は昭一の寝顔を愛おしそうに見ている。  
あさやで作業をしている3人。君ちゃんがいてくれて本当に助かる、とすみれ。
ところが、休憩しようかと立ち上がったとたんに君枝が倒れてしまう。
  
病院。こんな身体の弱い人が働くなんて無理だ、と医師に言われる昭一。
  
浅田が手に入れた進駐軍からの物資を持って民江を見舞うすみれと明美。コンビーフやキャラメルなどは当時の彼女たちには信じられないものだった。
3人で食べながら、女学校の時の梅干しだけの日の丸弁当を思い出す民江。日本が絶対に勝つと信じていたから気が張っていた、生まれたときにも死にかけて、なんとか助けてもらった命だから、大切に頑張りたい、と思っていた。でも日本が負けて、抜け殻になってしまった。だが、すみれに声をかけてもらって本当に嬉しかった、だから応えたかった、役に立ちたかった、と。
  
けれど昭一と昨日話し、仕事は辞めて欲しいと言われた。自分は昭一にも感謝している、こんな自分と結婚してくれて母親にもしてくれて…。だから、
「ごめんね…。もう、戻らない…」

すみれは微笑み、民江の手を取って、がんばって早く元気になって、と言う。念を押すように手を握り、だがどこかそそくさと、帰りましょうと言って立ち上がり、まだ座っていた明美を待ちもせず出て行ってしまう。残った明美もゆっくり立ち上がり、民江に向かって言う。
「これでええの?」
「え」
「ほんまに、これでええの?」
とだけ言って立ち去る明美。
すみれの思い、明美の言葉が民江の心に深く響いた、とナレ>
  
オールオアナッシング、になってしまうよ。

えてして頑張りすぎなんだよみんな。

仕事の形態から考えて、民江は民江の出来る範囲でやれることがあるはずなのに。まあすみれも頑張りすぎるたちだし、身近な人が頑張っていると自分も頑張らなきゃって思ってしまうだろうけど。
でもだからこそ、頑張りすぎるのは罪でさえある。
  
期限が決まっているのに不測の事態で人出が減り、徹夜続きになってしまったテーブルクロスのケースはまあ仕方がないとは言えるが、短期決戦であればまあなんとかなるだろう。けれど基本的には、頑張りすぎなきゃならないような仕事量がいかん。
  
脳科学的にも、楽しくなければ仕事や学習の効率は上がらないというし。単純に考えても徹夜したりで疲弊していたら仕事の能率は下がるし、ミスも出やすくなるだろう。たぶん、残業とかしていても、費やした時間、消耗した体力に比べて、仕事の成果は相対的に下がっているはずだ。
  
若いうちに無理が利いても、それがあとあと祟ってくるということもある。
私的なことであるが、私の父は6人きょうだいだが、いわゆる一流企業に勤めた兄2人と弟はもう亡くなった。姉2人はけっこう長生きした(93歳と88歳でもう亡くなったが)。そして今は父がひとり残っている。その父の口癖は「会社つとめしてたらもう死んでたな」。
彼は音楽畑で細々と仕事し、決して経済的に豊かにはならなかったが、まあそれでも私も弟も大学に行けたし、ちっぽけながらマンションも買ったし、なんとかはなっている。一時期仕事がなく会社勤めを試みたりしたようだが、性に合わずすぐに辞めてしまった。
母が病気の時はお金も必要で、夜討ち朝駆けで仕事をせざるを得ない(それに加えて母の見舞いにも行く)日々もあったが、基本的には好きな仕事なので、仕事上でのストレスはさほど大きくなかったようである。
それで83歳の今でも現役で毎日仕事に(幼稚園で音楽を教える)出かけてゆき、その仕事が楽しくてしょうがないらしい。
  
仕事の量や時間の問題だけではないのだ。自分が納得のいく仕事を、基本的には自分が「したい」というモチベーションで行っていくとき、仕事はうまく回っていく。量や時間の多少の過重はあまり気にならない。自分の手に、自分の仕事のコントロール権があれば人は過剰なストレスは持たずに済む。
必死で頑張るときもときにはあっていいと思うが、一段落したら休息も必要だろう。
  
テーブルクロス作業でやむを得ず徹夜続きになったすみれも、喜代が心配するよりもむしろ目を細めて「小さい頃と同じですねえ」と言うくらい、自らのモチベーションの方が大きかったのだ。
  
民江だって嫌いな仕事ではないから、喜んでやってはいる。けれどそこに、テーブルクロス作業を手伝えなかった罪悪感という余計なものが介在した。それで多分、自分のモチベーション以上にやってしまったのだろう。
  
おりしもいま、朝イチでも「長時間労働」問題をとりあげている。今まさに、視聴者からのファックスを紹介しているが、理不尽な長時間労働を強いられている人の多さよ。日本中が疲弊している、という意見に頷かざるを得ない。
  
そう簡単な問題ではないんだろうけども。
 
上にも書いたが、誰かが頑張りすぎると、他の人も頑張りすぎざるを得なくなる。頑張る、のはまだいい。頑張り「すぎる」のが問題だ。朝イチのファックスでも、他の人が頑張っていると、自分も頑張らないと解雇される、と言う言葉もあった。
だから、「頑張りすぎる」のは美徳でも何でもない。ましてや、俺は私はこんなに頑張っているのに、と他の人にも同じように頑張ることを強要するに至ってはなにをか言わんや。
勤勉は美徳、と信じ続けてきた日本人だが(もっとも多分江戸時代ぐらいまではそうでもなかったんじゃないか。明治維新以降の話では?)、それを180°転換せよとは言わないけれど、そちらだけに盲目的に突っ走るのは考え直す時期が来ている、とつくづく思う。電通の新入社員の自殺で社会が少しずつでも変われば、彼女の魂も慰められるであろうに。
  
  
そういや、メキシコ人は自殺が少ないと聞いたことがある。もちろんカトリックの国で自殺は御法度だから、という事情も大きいだろう。けれど、たぶん彼らは「頑張りすぎない」国民性なのだ。メキシコに限らずラテンの国はけっこうそうだよね。頑張りすぎることを美徳とは思っていない。人生を楽しむ方が大事だと思っている。
いや、そうだよ! 楽しまなくて何の人生?
貧しくても楽しむことはできるのだ。
  
  
みんなが頑張っているから頑張る、という日本人が、もうほんの少しでも、気持ちを緩めることができればいいのに。
   
ドラマの話に戻れば、民江は最終的にはそういう選択をするのではないかなと思っているが。つまり、自分にできる形で仕事をする、と。デザイン担当に徹すればいいんじゃないのかなあ。
それによって、身体が弱くてもそれなりに、自分の役目を果たすことができ、それが必要十分なことなのである、というメッセージがもらえたら、と期待。
  

posted by おーゆみこ at 10:11| Comment(0) | TrackBack(0) | べっぴんさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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