2016年11月22日

#べっぴんさん あらすじ&私評 第44回:人は衣服を着てからが人  #NHK #朝ドラ

辛い話…。

<あさやを出て新しい店に移るすみれたち。浅田は寂しくなる、といって涙ぐむが、すぐに新しい店にも現れ「隣の隣やからな」。

さくらは紀夫にはまだよそよそしい。寂しげな紀夫。

紀夫の職探しは難航している。物乞いの姿や米兵の靴を磨く少年を見たりして複雑な顔。

家で風呂に入りながらも色々と物思う紀夫。米兵に群がってチョコをねだる少年達の姿。歓迎会で進駐軍からもらってきた食料。そして栄輔になついているさくらのこと。
  
近江ではゆりが荒っぽい男達を相手にしながら麻布の仕入れに奮闘している。
接待役もしなければならない。大事な客だ、そそうのないように、と節子達に念を押されながらも、尻を触った客と揉めてしまう。
トク子はゆりの態度をいさめる。泥水をすすらんならんことも、水に流さんならんこともある、だが、 自分次第でわき水にも変えられる。
「……」
「分からんでもええ、…分からんかったら、あんた、帰りなさい!」
意外にも強い口調のトク子。

職探しが上手くいかず、独り夜の街で酒を飲む紀夫。そこに昭一と勝二が通りかかる。一緒に飲もうという二人。自分はまるで浦島太郎だ、帰ってきたら日本は変わっていたと嘆く紀夫に、自分たちも帰ってきたときはそう思った、と勝二達。
なんで女房達が働くのを笑って見ていられるんですか、と紀夫。昭一は
変わらなあかん。女房達が未来を見て動き出している姿を見てそう思った、という。

すみれが働いていると聞いたときは驚いた、と紀夫。辛い思いをさせたなとねぎらいはするが、色んな人が助けてくれた、とすみれがいうと
「すみれ、もういっぺん言う。他人を信じるな」
「なんでそんな寂しいこと…」
紀夫は、人は状況次第でころりと変わってしまう、と言う。
前はそんな人じゃなかったじゃないか、というすみれに紀夫は、
「収容所で、あんな思いをして、変わらん人間がいたら知りたいくらいや」
  
収容所では、風呂に入るにも、服を盗まれないように見張る仲間が必要だった、極寒の世界で服を盗まれたら死に結びつく。仲間と思っていた人間に裏切られて服を盗まれて死んだものも大勢いた…。とつらい体験を話す紀夫。

お休み、と言って紀夫がひっこんだあと、物思うすみれ。
変わらずにいることを望むことは…酷なことなのでしょうか、とナレ。>
  
 
壮絶な体験をしてきた人が、紀夫のようになってしまうことを責めることはできない。
そんな体験とは無縁に過ごしてこられた自分の幸運をただ感謝するだけだ。
  
戦争の罪は、物理的なものばかりではない。戦争という状況下で、人はたしかに、自分が助かるために鬼にも夜叉にもならざるを得なくなる。だがたとえ生き延びても、そのことがその人の心に、魂につけた傷は容易に癒えない。
生き延びるために必死だった彼らも、紀夫のように、実は「自分が」助かりたいとうだけではなかったろう。祖国で待つ家族のために、と思っていただろう。もしも自分だけだったら、銃弾や爆撃の傷ばかりではなく、心につけられた傷の痛みで、あるいはもう死んだ方がましだと思ってしまうかもしれない。死んだ方がまし、ぐらいの心の傷を、自分を待って居るであろう家族を思う一心で耐えてきたのだ。
そう簡単に脳天気にはなれない。たしか潔も、戦地でのことは話したくないというようなことを言っていた気がする。自分が物理的に辛い体験をしただけならむしろ語れるかもしれないが、心に受けた傷…あるいは自分が加害者になったときもあるかもしれない、それ故についた傷に触れるのは辛かろう。

そしてそんな思いをしてまで家族の元に帰ってきたら、自分がいなくても何やらうまくやっている。事態を受け入れられなくて当然だ。自分がついこの間まで生きていた世界と、明るさを取り戻しつつある世界は自分の中でつながらない。 浦島太郎。もはや自分の居場所はない。
飽食の時代の、どこか甘えた「自分の居場所探し」とは違う壮絶な心理。
  
  
そう、戦争を経験していない私たちの世代以降は、きっと歯がゆいくらいに「甘い」のだろう。戦争でなくても辛い体験をしてしまった人たちから見たら、性善説的な考え方はちゃんちゃらおかしいのかもしれない。
だがやはり、人が人を全く信用できないなどという世界は、その世界の方が間違っている、と言わなきゃならない。戦争は「異常」な極限状態だ。それは間違っているのである。平和ボケなどと言うより、戦争は間違っている、と言い続けなければならない。私はあくまで性善説だ。性が善でなくなるような状況は間違っているのである。人間の根本が実は悪い、のではない。たしかに、「動物としての生存本能」はあるだろう。だが人を人であるのは(というか一部の動物だって思いやりを持っているとしか思えない話はいくらでもあるが)そのむき出しの本能に着せた「衣服」の部分からなのだ(もっとも着飾っていても信用できない人はいるけどね)。

…うむ、そう書くと、紀夫の風呂で服を盗まれて死んでしまう話、そしてキアリスや新生板東営業部が衣服、おしゃれ、を考え始めること(福島の地震と津波の影響で2話いっぺんに見たので、ここらは45回の話が混じる)も象徴的ともいえるな。人は衣服を着て人になる。ささやかでもおしゃれをしてその人たる姿を磨いていく。






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2016年11月21日

#べっぴんさん あらすじ&私評 第43回:紀夫もまた居場所を求めている  #NHK #朝ドラ

最後の紀夫の一言で「ああ、そうか…」

<帰還してきた紀夫に喜代も感涙。

五十八達もすみれの家に集まり、盛大に生還祝いをやろう、と盛り上がる。
新しい方の店でやろう、とすみれ。だが紀夫は
「店…って?」
すみれが店をやっているという話を始めて聞いた紀夫は、苦労をかけたな、というが
「ぼくが帰ってきたんやから、もう大丈夫や」
板東営業部の現況について五十八に聞く紀夫。統合されてなくなってしまった、と聞いて、僕が立て直します、と紀夫。
だが、現在がんばっている潔やゆりのことを聞いて、なにか顔が曇ってしまう紀夫。
  
夜、ふたりきりになってから、紀夫は、列車の中で神戸の空襲などの噂を聞き、すみれとさくらのことが心配でならなかった、という。
「…この国は…かわったなあ」
「…そやね…」
すみれたちに無事会えた喜びよりも、なぜか沈んだ顔の紀夫。
  
翌日。浅田を含めた商店街の人々がくちぐちに紀夫の生還を祝う。そこへ紀夫の両親がやってきて、紀夫の名を呼びながら泣いてすがりつく母親、言葉少なながら感激している風の父親に、見ている一同も涙ぐむ。

新しい店に歓迎会の準備ができている。紀夫を拍手で迎える一同。深々と礼をする紀夫。
歓迎会が始まり、進駐軍からも手に入れてきたらしい食料が並ぶ。

だが、外でさくらをあやす栄輔の姿を複雑な顔でじっと見る紀夫。
勝二や昭一が話しかけるが、
「女ばかりでこないなところを借りて、本格的な商売をやるなんて。それを男が笑ってみているなんて。心配やないんですか。僕にはよう理解できません」
と言ってしまう紀夫。

あんなこと言って、みんなが気を悪くしてしまうではないかと、帰路を急ぐ紀夫を追いかけるようにしながら言うすみれ。
紀夫は、自分は収容所で、早う日本に帰って守ってやらなければ、とずっと心配していた、と苛立ったように言う。
あんないいところ、家賃だって高いのだろうという紀夫に、家賃は商店街の皆さんが大家さんに交渉してくれた、子連れの女性達が集まれば商店街も活性化するだろうから、と、とすみれ。

だが紀夫は
「すみれ…。簡単に人を信用したらあかん」

そして、僕が働く、仕事を探さなければ、と紀夫。仕事を探すって何で?と驚くすみれ。
板東営業部は潔さんに任せた方がいいと思う、と紀夫。紀夫さんが板東営業部の後継者ではないか、みんな待っていたのだ、とすみれ。
だが紀夫は、潔さんやゆりさんかて後継者や、

「ぼくの…出る幕はない」>
  
なんだ紀夫は、わからずやキャラ?と思ってしまったけど、最後の一言で納得。
やっぱりこのドラマのテーマは「自分の居場所」なんだな。
 
紀夫も、つらい収容所生活で、自分の生きる意味を模索せざるを得ず、その答えは「すみれやさくらを守る」役割だった。
ところがいざ帰ってきてみたら、自分がいなくてもみんな、「ちゃんとやっている」。すみれたちは他の人々に十分守られているし、自立もしている。
それはあのような態度になっても仕方ない。紀夫の心境を思いやるとむしろ辛くなる。
  
栄輔のことはむしろこれからが問題の本番なんであろう。栄輔にしても同じく、自分が誰かのためになっている、という意識を持ちたい。単にすみれへの恋心だけが問題ではない。栄輔は単にすみれに失恋したのではない。私が以前に書いたけど、さくらに取り入ってすみれの気を引く、というのも作戦なんかじゃなく、彼は心からさくらを可愛いと思い、さくらの父親になりたいと思ったのだろう。自らの家族を失ってしまった栄輔の心境もまた、思いやると辛い。栄輔の傘のエピソードも考えてみれば何重にも表現しているものがある。傘とはなにかを庇護する象徴。そして栄輔に残されているのが実家で作られたその傘1本だけ。

私自身だって同じだからね。今私は、高齢の父親と弟しか直接の家族が居ない。友達はたくさんいても、家族というのとは違う。いまは別に父親に尽くしているわけでもなんでもないが、自分にできる限りのことはしてあげたいと思う。
  
家族関係どころか、仕事においても紀夫は「居場所」を見失った。
自分の居場所に確信が持てなくなったとき、人は何かに「執着」しはじめる
  
最初に思ったよりはるかに奥深いドラマになってきた。それでもペースがゆったりしているので助かる。早すぎると私評が書き切れないしね。
 
posted by おーゆみこ at 08:36| Comment(1) | TrackBack(0) | べっぴんさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月19日

#べっぴんさん あらすじ&私評 第42回: 執着からの脱却はこのドラマの根底の世界観かも #NHK #朝ドラ

あらそこそこあっさり。

<紀夫からの手紙を五十八たちに見せるすみれ。泣きはらした目をしている。よかったな、と喜ぶ五十八たち。だが栄輔は複雑な顔。

  
店でも、良子達が喜んでやっているが、明美は複雑な顔。

  
あからさまに沈んだ顔の栄輔に、ゆりが、大丈夫かと声をかけると
「わしは、ほんまにあかんわ…器の小さい男や…」
すみれが喜び、さくらにも本当の父親が帰ってくるというのに、
「…ちくっとしとる…。なんでやろ、なんでわしはこないに器の小さい男なんやろか…」
栄輔くんは絶対に幸せになる、私が保証書出す、とゆり。だが栄輔の顔は晴れない。

五十八と潔、ゆりが近江の板東家本家を訪ねる。
正直言って小さいときは、自分の方ができる、と思っていた、と長太郎に告白する五十八。わかっていた、と長太郎。
それなのに疎開の時は居候させてくれて本当に感謝している、と。これからは若い者の時代だ、潔達の願いを聞いてやってくれないかと頭を下げる。
潔が進み出て、かつてはながやっていたように、ゆりに近江で仕事をしてもらいたいという考えを話す。この子には無理や、とトク子。だがゆりは、大阪で、理想だけでは上手くいかないこと、私のできることは少ないということがわかった、けれどできることを見つけたので頑張る、と言う。
長太郎に口添えするトク子。お願いしますと頭を下げる一同。わかった、と長太郎。 

すみれは店の名前を考えている。
「なんか……なんかな…」
ようやく、「すみれお嬢様」が戻ってらっしゃいました、と嬉しそうな喜代。 
  
花売りの少女の花も売れている様子。 

すみれは明美達に、新しい店の名前のアイデアを発表する。
「キアリス」
君枝、明美、良子、すみれの頭文字を取ったのだ。賛成する一同。マークはクローバーにリスにしようということになった。
  
すみれが帰宅すると、栄輔が貸してくれた傘が干してある。手にとってじっと見るすみれ。
  
店の前で物思いにふける栄輔。すみれがやってくる。さくらが抱きついて、抱き取るがやはりどこか複雑な顔の栄輔。すみれは栄輔に傘を差し出しながら、栄輔に自分もさくらもずっと救われてきた、と言う。わしこそや、と栄輔は笑顔でさくらを高く抱き掲げるが、ひとりになってからまた物思う顔。桜は満開で、すでに少し散り始めている。見上げる栄輔。
この年の桜を、すみれも、栄輔も、一生涯忘れることはないでしょう、とナレ。
  
桜の花咲く丘でさくらと遊ぶすみれ。
そこへ復員平の姿。すみれたちに近づきながら頬を自らつねる。紀夫であった。
「紀夫さん…?」
まずさくらに呼びかけ、小さな手を握る紀夫。そしてすみれを見る。
すみれは涙をこぼし、笑顔になって
「お帰りなさい…」
「ただいま…」
静かな再会。>
  
でもおおげさでない静かな再会シーンには好感。お互いに抱き合うでもない。この時代はこんなもんだったのかな。ハグは夫婦や恋人同士でも、今ほど普通ではなかったのだろう。
  
素直にがっかりした顔を隠さない栄輔にも好感。予告編を見るとまだすんなりはいかないみたいだけどね。
  
でも栄輔の複雑な顔の直後に明美の複雑な顔、てことは、これはひょっとして…?
  
複雑な顔、になるのは、単なる羨ましさや失恋の寂しさだけではなく、栄輔の言うように、相手の幸せを心から喜んであげられない自分の器を思ってしまうから。でももちろん、そこまで達観した「できた」人はいないよ。明美だって昨日、「生きていれば、そして元気なら、ええやないか」と言っていたけれど、そんなふうには割り切れない。前にも書いたけど、「執着」。そこから脱却できたらもうほとんど菩薩ですよ。
宗教の世界は、基本、これが究極の目的だと思う。執着からの脱却。色即是空。そして心の平安と揺るぎない幸福感を得る。そのために僧侶も平民信者も修行し読経し祈る。つまりそれこそが人間にとって一番必要で、かつ一番難しい境地。
  
そういう執着がないふりをするのもウソである。栄輔や明美の表情の素直さはいい。無理にごまかすのではなく、存在を認めなければ逆にそこからの脱却はできない。
連想して話が飛躍していくスイッチ入ったけど、残念ながら今日は時間切れ。
ただこのドラマの根本的世界観がそのあたりにもある、と今は思えるのでそれが嬉しい。思索飛躍スイッチ満載かも。  
  
花売りの少女から花を買う女性やパンを三つ買うすみれの姿は(すみれの晴れ晴れした気持ちの描写でもあろうが)徐々に好転しつつある経済状況の描写でもあろう。社会は確実に明るくなっているのだ、この時代は。
posted by おーゆみこ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | べっぴんさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする