2010年10月04日

第7話 かわいそう、は大きなお世話、どころか… #teppan #nhk #drama

二日酔いで午前中を棒に振りました(>_<)。てなことで今頃ですが。
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すでにみんなキャラの立った感じでええねえ。
欽兄はほんとに思慮深く優しいし、鉄兄はアホやけど直観が優れている。一見、人の努力を台無しにするようなしょーもない行動をしているように見えるけれど、実は、本当に必要なことは何かを本能で見抜いてしまうのだ、と思う。もちろん本人はそれを一生懸命考えたりしているわけではなく、あくまで衝動なんだろうけれども。
だって、ここでこんなふうに「落着」させてしまうのがいいとは思えない。それぞれの優しさで、もちろん生活は今まで通り続いていくし、何度も言うように「本質的にたいしたことじゃない」のだが、しかし今の状態は単に「目をそらして」いるだけである。現実を受け入れて、認めて、それから初めて「なんだたいしたことないじゃん!」と笑い飛ばす。それをしないと、幽霊の正体見たり枯れ尾花、のごとく、いつまでもしこりが残り肥大していくだけだ。いちばんパニくったはずの鉄兄、一番「あかりがかわいそうだ!」と思った鉄兄、だからこそ直観的に分かる。こいつは組み伏せなければならない。
あかりももちろん、組み伏せるつもりでいるのだが、それは単に、それをゴミ箱に押し込んで、無理矢理ふたを閉める、ということになっている。

欽兄は鉄兄を、母ちゃんの気持ちも考えろ、と叱った。たしかに今鉄兄はあかりのことにしか目が向いていない。あちこちに気を配れる欽兄はバランスのとれたすてきな人である。
だが、真知子は千春さんのことも考えているだろう。母親だからこそ、やはりあかりの母親だった千春のことを。千春さんと真知子さんがどういう関係だったのかはまだ分からないが、あの写真で見る限り仲良しだったのだろうし、亡くなった後に娘を育てる決意をするからには、そんな表面的なつきあいでもなかったはずだ。血の繋がりだけが大切ではない、と言ったって、もちろん産んだ母親にとって我が子は特別である。我が子から母親として認めてもらえない千春さんの哀しみを真知子は考えてしまうのではないか。あかりが千春や、そして初音のことを完全に封印してしまうことを、真知子は喜べないのではないだろうか。
それはたぶん、錠には少し分かりにくい感情かもしれない。

みんながみんな、だれのこともないがしろにせず、それぞれのやり方で良かれと願う。

通り一遍の正義感みたいなもので誰かを断罪したりしない。

話しは例によって少しずれるが…ツイッターで、夫婦別姓のことについて関心を持って(別姓に賛成の立場で)ツィートしている方をフォローしているのだが、その方は自分に来る反論もときどきRTしている。その中には、「親の名字が違うなんて子供がかわいそう」という反応がしばしばあり、また「そういう子はいじめられる」とかも言われる。なぜかわいそうなのか、とその方は反論し、「『いじめられる』じゃなくて、あなたが『いじめる』んでしょう」とまで言い切る。それに私は同感する。「かわいそう」とか善人ぶって言う人がどれだけ相手を傷つけているか。必ずしも「両親の名字が違う子」だけが対象ではないが、そういうのを「かわいそうだ」と思ってしまう価値観そのものが人を傷つけることがあると思う。相手の誇りを傷つけていると思う。
かわいそうに、とか言えば自分が優しくて善人で正しい、と思ってるような人が(そしてその時点で思考停止している人が)きっと世の中にはいっぱいいるんだろうな、と思う(あまり自分の周囲にはいないので、もしかしてそれも私の偏見かと思うこともあるが、メディアではしばしば見聞きするよなあ)。
もちろん鉄兄の「あかりがかわいそう」も一歩間違えばそうなりかねないが、上にも書いたように鉄兄はそこに止まらなかった。一見アホではあるが決して思考停止していない。

このドラマは、そういう手合いの発想とは全然違うところで(というよりそういう発想をはっきり否定するかのように)気合い入れて作られているのがとてもいい。


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2010年10月02日

第6話 いけずでピカソなドラマ

土曜日は朝余裕がなくてドラマを見られず、そのまま帰宅も夜になるためいつもたいがい更新できませんスミマセン。

でもアリバイ的にちょっとだけ書く。

やっぱり「突っ込みどころ満載」なのだが…一度も音出してない楽器だし、一度も試しに合わせてみてもいないバンドだし、ちらっとしか見てない楽譜だし…なのにいきなりステージでソロで、しかも楽譜ほっぽり出して前に出てキレイにフィニッシュって、そりゃありえないともさ。

でもやっぱりこのドラマは、そういうところは「いいことにする」ものなのだ。まあ、これまでにも百万回書いたが、ピカソのようなもんで、「デッサン狂ってる!」けど、それはそれ、なのである。デッサン狂わせてでも伝えたいものがあるのだ、と納得できる。写実画が好きな人(優劣とかではとりあえずなく、好みとして)には受け入れにくいかもしれないが。
大阪制作のドラマにはそういうのが多いような気がするなあ。写実的なんてのはくそ食らえ。でも伝えたいものにブレはない。

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また逢う日まで

別れの そのわけは 話したくない

たがいに傷つき なにかをなくすから

「また逢う日まで」はもちろん知っているが、考えてみるとその歌詞についてあまり気にしたことがなかった。互いに傷つけあわないために別れのわけを話さずに別れゆく人々だったのだ。そして「ふたりで」ドアを閉める。
互いに納得しないままに、それでも一方的にどちらかが去ってしまうのではなく、少なくとも形だけでも、「ふたりで」幕を引く。憎み合ったりしてもう二度と会わないのではなく、またいつか違う文脈の中で会えるのかもしれない、という含みを持たせて。それぞれが前を向いて歩き続けるために、別れる。

千春が初音のもとを去ったとき、初音はまさか二度と会えないなどとは思わなかっただろう。しかし実際に千春は亡くなってしまっていた。自分の心をぐしゃぐしゃにしないよう、初音は鎧を脱がない。だが、心の底でどれだけ自分を責めているだろうか。
だがあかりがやってきて千春のトランペットを吹く。
写真しかないが、千春とあかりはやはりなんとなく顔が似ているように思える(ってもしかして写真の千春とあかりの役者が同じとか…?)。
初音はまだ気づいていないが、また「逢えた」のである。

このドラマがいいドラマな予感がするのは、あかりを主人公にしてその「成長」を描いているように見えて、そのじつ、初音の心の底のかなしみにこそ焦点があっているように感じられるところだ。

これまでのところ、このドラマはいささか不親切なくらいに、視聴者を突き放しているようにも思える。痒いところに手が届くように世話焼いてくれない。「ほれ」とばかりにいろいろなものを放り投げてよこす。…という印象がある。それこそが興味深い。受け身的に座って見ていると、ときどき優しく撫でてくれたりした(という印象の)前作とは打ってかわって、見ている側もくらいついて、自力でくっついていかなければならない、という感じである。…って具体的に説明できないけど、私の直観的な印象。
(やっぱり「朝ドラ」としてはウケないんじゃないかなあと思ってしまうが…)
初音ばあちゃんのように「いけず」なのである。




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2010年10月01日

第5話 世界への「信頼」の物語? #teppan #nhk #drama

ま、突っ込みどころはいろいろあるけど、その意気やよし、ってことで許す(何様)。

ちっと気に入らないのは、テーマ音楽が「知るを楽しむ」のそれにしか聞こえないとこだなあ…。似すぎてない? 朝ドラハジマタ!て気にならないのがなんだかな。

けど、「いけず」なばあちゃんと、「がんぼ」な孫との描写は意外にも悪くない。明るく元気がとりえ!のヒロインてのはともするとうざったくなりがちだが、今のところ不思議にすっきりしている。

初音さんみたいなタイプの人は、本当は繊細すぎる心を抱えているんだろう。無防備にさらすには心の芯が柔らかすぎて、いつのまにかそれを守るために堅い鎧を身につけた。弱さをさらけだせる方がよほど強い人なのだという説は成り立つ気がする。さらけだしたら最後、崩れてしまうぐらいに弱い自分を実は(意識では押さえつけても無意識が)知っている人ほど、鎧は厚くなる。

真知子さんは本当に強い。その強さの源は「信頼」だと思う。誰を、というのではなく、この「世界」にたいする信頼。自分が立っている大地を信頼しているので揺るぎなく立っていられる。自分に弱いところがあるとしたって、それが深刻に傷つけられることはない、と信じていられる。傷ついても立ち上がれる自信がある、その信頼故に。

初音さんにはそれがないのだろう。大地を信頼していないから転ぶのを怖がり、怖がるからますます不安定になる。だから鎧をまとって身を守らなければならなくなる。

あかりはもちろん、「真知子さんが育てた子だから」(そしてもちろんおそらくは、「千春さんの産んだ子だから」)世界を信頼している。

世界を信頼していれば、本質的でないことには「それが何?」と言える。だが信頼していない人の言う「それが何?」は単なる「フリ」、強がりだろう。

だがあかりはまだ年若く、たとえば人の痛みなどが分かる経験はしていない(はずだ)。人の苦しみ辛さなどに接し、そしてもちろん自分にも襲ってくる痛みを経験して初めて、世界への信頼が「試される」。それを経てなお揺るがない信頼へ向けてあかりが成長し(真知子さんはその域に達しているのかも)、かつ初音さんが、なにかの加減で失ってしまったそれを取り戻す。そういう物語かも、と思い始めた。

最後の、ナレのグフフ笑いに笑ってしまった。いいねこれ。(^o^)
posted by おーゆみこ at 12:43| Comment(11) | TrackBack(0) | てっぱん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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