2010年10月19日

第20話 食は大事 #teppan #nhk #drama

伝さんの手首に、ブラジル国旗のついたリストウォーマーが。

<作業服姿の冬美とぶつかってしまったあかり。冬美はごまかそうとするがごまかしきれず、観念して
「ごめーん、ばれた?」

赤や濃いピンク系統を中心にした派手な服などがところせましとひしめき合っている冬美の部屋。自分も実は田舎の出身で、原宿でスカウトされてなぜか大阪に連れてこられたと告白する冬美。それでも田んぼと山ばっかりの田舎から出てこられたらそれでも良かった、と。家族はいまでも反対しているらしい。
「幻滅…した?」
「いえ、うちはじめて冬美さんに会うたとき、都会の女の人はかっこええなあと思たんです。…今でもそう思います」

冬美は、「ええきっかけや」と言い出す。モデルの仕事には見切りをつける。だが田舎に帰るわけではない。大阪でショットバーみたいな店をやりたいと言うのだ。
「自分だけのステージや。そこやったら、何歳になってもお客さんの真ん中でライト浴びてられるやろ?」
だが下宿の人たちには言わないでくれ、と頼む冬美。だいぶ見栄はってしまったから居づらくなる、と。

初音は大根の皮を丁寧に剥いている。捨てるんじゃないのかとあかりが尋ねると、皮の下に一番栄養があるのだから、捨てずにきんぴらにするのだと言う。
「へえ〜〜」
感心するあかり。
「知らんのか?」
「……知らんでいいこと、…知ってしもたのかな…」
「…なんや、またいらんことに首突っ込んだんかいな。人のことは放っておくのが一番や、そう言うたやろ」
「………」
不服そうに頬を膨らませているあかり。
(そう簡単にはいかんのが、この子のややこしいとこやがな…)
とナレ。

会社で事務作業をしていてもついため息をついてしまう。なんや若い子が、と小夜子。
「人がわかりあうのって、…難しいですね」
「なんや。恋の悩みか」
「うちが近づこうとすると、向こうが逃げるんです」
「わっかるわ〜!ぼくと小夜子さんもな、永遠に分かり合えへんねん。ぼかあこんなに一生懸命やってんのに」
話に乗ってくる浜野。
「力の入れるところが間違うとる言うとるんです。ブラバンやる暇あったら、もっと会社のこと考えてください!」

小夜子はあかりにも、まだあんたのことを認めたわけじゃない、給料の分しっかりはたらけと釘を刺す。

小夜子さん不機嫌やな、と栄治。だがあかりに
「あの人な、ほんまにこの会社のこと思うてはんねんで。好きやから必死や。わしも好きやで、この仕事。自分が削ったかつぶしを、どっかの誰かが食べてくれて、おいしいと笑うてくれる。幸せな商売や」
「…幸せ?」
「一日中工場におるけどな、鰹節で、お客さんとやりとりしてるんや」
「やりとりですか」
「ああ。そこにあんのは、ちりとり」
そばのちりとりを指差してダジャレを言う栄治。あかりがつい笑うと
「お?笑うてくれた!わははははは!」
とご機嫌だ。

あかりが路地まで帰ってくると、初音が伝の家から出てくる。伝に椅子を作ってもらったのか修繕してもらったのか、あかりを見たとたんその椅子を奪い取るように自分で持ち、あかりには
「いらんこと、言いなや」
と釘を刺し、つんとして行ってしまう。顔を見合わせる伝とあかり。

伝は木を削ってなにやら小さいものを作っている。
「おばはんなあ…。下宿でもあんな感じかいな」
「はい…自分は一人暮らしじゃ言うてます」
「あのひねくれた根性は、死んでもなおらんな、わはははは」
そこへ民男が通りかかる。ランドセルを背負って、うつむいたまま、声をかけても返事しない。だがあかりはランドセルに靴の跡があり、ひざもすりむいていることに気づく。しかし民男は
「放っといて!」
と振り切るように家の中に入ってしまう。
「どうしたんじゃろ…」

「あの子な、角の公園でひとりでようぽけっとしとるで」
「そうなんですか」
「これ、あの子にあげて」
伝は削って作った小さな飛行機を渡す。
「男の子は、こんなん好きやろ」
「うん!」
顔を輝かせるあかり。

民男たちの部屋の前で呼びかけるが返事がない。すると端っこの部屋から笹井が出てきて
「こちらです」

民男は笹井の部屋で雑誌を読んでいた。あかりが飛行機を差し出してもそちらをむこうとしない。笹井が
「わたしときます…」

笹井はにっこりして、飛行機を手に持ち、ブーーンーーと擬音を言いながら民男に近づいていく。優しい笑顔。

コインランドリー。あかりと笹井。
「民男くんと、仲、ええんですね」
「まあ…」
民男がランドセルに靴の跡をつけられ、膝をすりむいて帰ってきたことを話すあかり。
「…民男くんは…さ…さびしいんだ。お母さんには会えない、お父さんは忙しい、……学校には、なじめない…。回りに人がいても、……ひとりぼっちなんだ…」
訥々と言う笹井。
「うちに、できることはありませんか」
「わかりません…」
「でも、笹井さんはいつも民男くんと…」
「相手してもらってるのは、ぼくのほうです…」
「………」

そこへ滝沢がやってくる。相変わらず、あかりが挨拶しても返事もしない。
だがあかりはなおも話し掛けようとする。
「あのー!」
すると滝沢はヘッドフォンを外し、
「ちょうどええ。お前に頼みがあるんや」
滝沢の頼みとは、食事に「ひじき」をつけてくれるよう初音に頼んでほしいということだった。血液中のヘモグロビンを増やすために鉄分が必要なのだという。
「なんでうちに?」
「大家と同じ部屋に住んでるやろ。お前大家のなんだ、親戚かなんか?」
「……ただの下宿人です」
「赤の他人と、よう住むな」

あかりは滝沢の頼みを初音に伝えている。だが初音は
「なんでそんなことせなあかんの」
突っ張りではなく、本当にその意図が分からないという調子で答える初音。
「滝沢さん…おばあちゃんの料理、すごいて言うとる。鉄が大事じゃいうことも分かっとる。とにかく、食べるものも全部含めてトレーニングなんよ。鉄分がとれたら、もっと速く走れるかもしれん」
「うちは、別にそんなこと望んでへん」
「え?」
「下宿人とは、必要以上に関わりもたんようにしとるさかいな」
「……。それだったら、なんで食事付きの下宿屋やっとるの。食事を出すいうことは、やりとりするということじゃろ。人と関わりとうないんなら、食事なんか出さんほうがええじゃん」
「食事出すしかでけんさかい、それを商いにしてますのや。下宿人は黙って食べたらええ」
「……ほんまに、黙っとったほうがええん?」
「なにが?」
「いただきます、も、ごちそうさま、も聞かんでええん?…かわいそうじゃ」
「同情なんかいらん」
「食べ物が可哀想じゃ」
「なんやて?」
「あれだけ手間暇かけて作ってもろうたら、おいしいね、って言いながら食べてもらいたいはずよ。野菜の皮をとっておくのに、なんでそんなもったいないことするん。おばあちゃんの料理は…損しとる」>

あかりに拍手。その通りじゃ。

でも本当はそんなこと、初音さんだって分かっている。本来なら初音さんが若い人たちにそれを教えるぐらいの立場だったはずだ。お好み焼き屋をやっていたとき、鰹節にうるさかったという。案外栄治さんに「お客さんとのやりとり」ということを教えたのも初音さんだったのではないか。まかないつきの下宿を始めたタイミングはまだ分からないが(千春が出て行く前なのか後なのか)仮に千春が出て行く前からやっていたとすれば、初めのうちは下宿人たちと「一緒に」食べていたかもしれないとも思う。下宿人たちの「いただきます!おいしい!ごちそうさま!」を聞くのが嬉しかったかもしれない。
そうでなかったとしても、千春のそれを聞くのが喜びだったはずだ。

大人ぶって、人生の酸いも甘いも噛み分けましたみたいな顔をしているけれど、初音さんは「退化」してしまっている。人間力が。偉そうにあかりを諭そうとするけれど、初音さんが正しいなんてことはない。
だが世の中の多くの人は、初音さんのような態度、物腰を「大人」だと思うのかもしれない。波風を避けて、「思慮深く」生きていると思うのかもしれない。
もちろんドラマ内では、初音さんの生き方がちょっとおかしいと思えるように描かれているが、実生活でこういう人がいたら、さすが年の功とか言われてしまう存在に見えるのかも、なんて思う。

だいたい朝ドラでは、主人公が、若さの故に、素直で不器用で、前向きであれ後ろ向きであれ(喜代美は後ろ向きだったけれど)あちこちぶつかって波風立てながら、しかしその分自分も、そして周囲をも変えて解放していく、というのが王道だろう。ときにはそれが主人公じゃなくて主人公の母親だったりするけど (^_^;)(>つばさ)。
でもたいがい、そういう主人公ないし準主人公を、「うざい」と思ってしまう視聴者も少なからずいるようだ。

まあ自分でも思うが、若いときはむしろ、「放っといて」もらいたかったかもしれない。孤独や不安やらとはあまり縁がなく、自分が何でもできるような気がしていたしね。傲慢で共感力もないコドモだったな。そういうときに見てしまうと、「人にはだれでも踏み込まれたくないところがある」とか「透明人間になるのも必要」とかいう言葉に、そーだそーだと思ってしまうかもしれない。ものすごく感じ悪くても、滝沢くんのような態度にもむしろ共感してしまうかもしれない。
そういうころにはそもそも朝ドラ自体がかったるくって見てられなかった、かもね。

けれど自分が歳を重ねてきて、孤独やら不安やらが身に染みて感じられるようになってくると、たいがいの朝ドラがおそらくは伝えたかったであろう「人とのつながりの大切さ」がしっかり伝わってくるようになる。
とくにこのドラマのように、若い人を教え諭す立場にあるはずの「祖母」クラスの人がむしろ一番深く踏み迷っている(しかもそれを外に出さないようにしているからもっと救いようのない)図であると、さらに身に染みる。

はたから見て初音さんがアホなのはよく分かるけれど、なおかつ、そうなってしまわざるを得ないほどの哀しみもまたよく分かる。愛したものを失ったときの辛さを必死で耐えていると、もうこんな思いをしたくない、そのためにはもう誰も愛さない、という方向で自己防衛せざるを得ない。

***
それにしても、「食べる」ことは本当に大事。今朝の朝日新聞でも、抗がん剤治療を受けている人が少しも食事をおいしくとれるように工夫している病院の話で、「患者にとって『食べる』ことは『生きる』ことなんだと気づいた」という言葉があり、また、「心と体はつながっている。『ご飯を食べている』と実感することが生きることにつながる」という言葉もあった。
そしてもちろんそれだけでなく、少しでもおいしく食べてもらおうと配慮することによって、「やりとり」が生まれることにも「生きる」意欲につながる何かがあるだろう。

このドラマではまた、「音楽」を通じてもその「やりとり」を見せていくのだと思う。今はトランペットもお休みしているあかりだが、今後はまた復活するのは明らかだし。

このドラマの始まる少し前から、やたらと「食べる」「作る」ことにハマり始めていた私である。
長いこと旅行にも出かけていないが、次にどこかに出かけるチャンスがあったならば、「食」をひとつのテーマともして行ってみたいとすら思ってそんなことをブログにも書いていた。観光客むけのレストランではなく、できればマーケットとかに行って、家庭料理について聞いてみたり、とかしてみたいな、なんて(人見知りの私には簡単ではないんだが…)。

ただ自分の現在の境遇(?)的には、どちらかというと私も孤食傾向なのである。
むしろ初音さんが羨ましくさえある。その点でも、もったいない! 料理を作って、人に食べてもらえるという境遇にあるのだ。

きのうも、「寮」生活は憧れ、と書いたが、この歳になると、やるなら「寮母」的でありたいとすら思う。そういえば「ちゅらさん」の「一風館」も羨ましかったなあ。みづえさんになりたかった。考えてみると朝ドラで田舎から都会に出てきた主人公が住むのは、ほとんどの場合、今でもそんなんあるんかな、って思えるような「下宿屋」だったね。そういやそれがいちいち羨ましかったっけな。でなければすぐ隣に友達がたまたま住んでたりとかね。   

ともあれ私にとって、食と音楽、そして人との関わり(血の繋がった「家族」が問題なのではなく)というのはかなり切実でタイムリーなテーマだ。いい朝ドラはいつも私が必要としているメッセージをくれる。有難いことだと思う。


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2010年10月18日

第19話 「縁」あって一つ屋根の下に #teppan #nhk #drama

ここだけ見たら「いかにもな朝ドラキャラ」ではある。

<「おばあちゃん」のかたくなな心をこじあけようと頑張るあかりだが、初音の方も一筋縄ではいかない。あからさまにおばあちゃんと呼ばれることも相変わらず拒んでいる。

浜勝社長浜野について、お好み焼き屋に鰹節を届けるあかり。店でウェイトレスに代わって客に水を注いでやったりもし、フットワークがいい。

公園のようなところで、浜野と並んで座ってお好み焼きを頬張るあかり。あまりにおいしそうな食べぶりに浜野は感心する。お好み焼き屋の店長も、あかりがよく働いてくれたのでいつでも店を任せられると言っていたという。お得意さんを応援するのも浜勝の大事な仕事、と浜野。

あかりはふと、走っている滝沢をみつける。
「昼休みも走っとるんじゃ…」

田中荘に男が訪ねてきている。
「食事は、大家さんが?」
「そうです」
「カロリー計算は」
「そんなこと、しまへん。今日のところは帰ってもらえまへんか。仕事の邪魔ですよって」
「ぼくも、仕事です」
初音は、ここで下宿人が食事をすると言うのだが、男は帰ってくるまで待つと言い張る。

「ほら、あの人。駅伝くんの知り合いやて!彼氏がおったんや!」
と冬美。
「彼氏?!」
驚くあかり。
そこへ滝沢が帰ってくる。

「滝沢!」
「根本さん?」
どうやら根本は滝沢のコーチで、同僚たちの練習レベルが低いのを嫌って合宿所を飛び出してしまった滝沢を連れ戻しにきたらしい。あんな練習だからいつも予選落ちなのだと滝沢は遠慮もなく言い、自分を拾ってくれたことには感謝しているが、練習は好きにやらせてほしい、結果は出す、と宣言。
「こんな環境で…お前にふさわしいトレーニングが出きるとは思われへんけどな」
と根本。
すると突然あかりは、冬美の止めるのも振り切って
「あの!滝沢さんだって自分で頑張っておられるんです、きょうの昼休みだって走っとられたし」
「いらんこと言うな!」
「お前、昼休みも走ったのか! 追い込みすぎたらまた壊す!…」
「あんたに指図される覚えはあらへん」
すると冬美が
「自分を拾うてくれた人に、その口のききかたはないんとちゃう? あせる気持ちも分かるけど、…あんたちょっと気負いすぎなんやわ」
「お前に何が分かるんや。ぬくぬく生きとるような人間に、でかい口叩かれとうないわ」
「あんたこと何を知ってんの」
「ジェシカさんだって、厳しい世界で頑張っとるんですよ!」
とまたあかり。
「ジェシカ?」
「余計なこといいな!」
顔をしかめるジェシカ。」
「ジェシカさんはスーパーモデルなんです!」
「スーパー…なんやて?」
「モデルです!」
嬉しそうに言うあかり。だが滝沢は
「何やってるか知らんけどな、こんな奴と一緒にせんといてくれ」
滝沢は去ってしまい、根本が慌てて追いかける。

「あんたなあ…なんべんジェシカ言うたら気がすむねん。冬美や言うとるやろ」
と冬美。不機嫌そうに去ってしまう。
「…怒らせてしもた…」
呆然とするあかり。

「あんたの”いっちょかみ”は、尾道の家族に似たんかいな」
と初音。
「いっちょ…かみ?」
「いらんことに首を突っ込むことや」
食事を自分の部屋に持っていこうとしている初音。
「あ…いっしょに…食べてええ?」
「下宿人は、ここで食べ」

(あ〜、また引っ込んでもた…。まあ、一筋縄ではいかんわな)
とナレ。

しょんぼりとした顔で風呂にいこうと出てくるあかり。そこへ冬美が出てきて
「おのみっちゃん。お風呂、一緒にいこか」
と笑顔で声をかける。嬉しそうに頷いてついていくあかり。

コインランドリーで
「さっきはごめんな、ちょっと…かりかりしてて」
「いえ、うち、いらんこと言うてしもうたみたいで…。冬美さんがモデルやっとってじゃいうこと、あまり言いふらしてはいけんかったんですね…」
「まあ…そのことはもうええわ。駅伝君…自分を追い込むためにあの下宿に来たんやな」
「冬美さんは…なんでなんですか?」
「え?」
「前から気になっとったんです。モデルさんて、もっとおしゃれなところに住みそうじゃけ」
「あ…そ…それはじゃな……なんでか…言うたら…」
戸惑う冬美。
「衣装代がかかるんですか?」
「いや…あの…お金は、あるんやけどね…。そう、食事のせいや!」
「食事?」
「大家さんの食事な、もう低カロリーで栄養バッチリや。モデルはボディラインが命やからな」
「へえ!気をつけとられるんですね!」
「……なんでも真に受けるんやな…」
「え」
「ううん。おのみっちゃん、あんたほんとに、田舎の子やな」
「そうじゃろか?」
「ひとつ教えとるわ。うちな、ここに住んで3年めや。他人どうし一つ屋根の下に住むには、お互い透明人間になることも必要やで」
「透明人間…?」

冬美はさっさと先に去ってしまう。

仏壇の前に座っている初音。あかりはその背中に向かって話しかける。
「おばあちゃんは、なんで下宿屋をやっとるの」
「部屋が余ってるから、貸してるだけや?」
「あんなおいしい食事まで出して?」
「うちにはうちのやり方がある。気に入らんかったら、出て行き」
そして向き直って
「ええ機会やから、話しとこか。うちは、あんたがここに住むことは認めた。けど、今までのやり方を変えるつもりはない。うちは大家。あんたは下宿人。下宿人は家族やない」
「けど…うちは大家さんの…」
「考えてもみ?18年近くもお互いのこと知らんかった相手や。いきなり孫言われても、家族になれるわけあらへんもん。孫のことも分からんのに、他人のことは、もっと分からん」
「……やっぱりおかしい。一つ屋根の下に住んどるのに…一人暮らしみたいや」
「……そうや…うちはずっと一人暮らしや。あんたがくる前からな……」
「………」
唇を噛むあかり。

翌朝。朝食中の滝沢に向かって、ことさら元気良く挨拶をするあかり。
「きのうは、あのコーチの方とどんなお話をなさったんですか?」
滝沢はイヤフォンを耳からはずし
「おまえな、ちょっと黙ってられんのか」
と不機嫌そうに。
「すみません…」

笹井にも声をかけ
「一緒に食べませんか」
「無理なんです、他の人とは、食べられないんだ、ごめんなさい」
抑揚のない調子で言う笹井。

「人のことはほっておきなさい」
と初音。

民男がばたばたとやってきて、父親の出勤の面倒を見ている。
「民男くん、今日は一緒に晩ご飯食べへん?」
「食べへん!」
即答される。

「あんたも、懲りへんなあ!」
呆れる初音。

冬美がやってきて滝沢に
「きのうはちょっと言いすぎてしもうたけど…」
と声をかけるが、滝沢は無視して行ってしまう。

「よっぽど嫌われてしもたな…」
「うち、ちょっと話ししてきます!」
とあかり。
「やめとき!」
腕をつかんで止める冬美。
「そうや、あんたが首つっこんだら、よけいややこしなるわ」
と初音。
「でも、このままじゃ!」
「ほっとき、こんなのいちいち気にしてたら、芸能人はやってられへん」

鰹節の箱を台車に載せてごろごろ押していくあかり。冬美や初音の、人のことに構うなという内容の発言を納得のいかない顔で思い出している。

ぼんやり押していたら曲がり角で自転車とぶつかってしまった。自転車に乗った飲食業らしい白衣の女性が倒れてしまう。あわてて助け起こす冬美、ところがなんとそれは、冬美だった>

わけありで自分の中に「開かずの間」を持ってしまっている人たちが、何にでもぶつかっていく素直なあかりによって、人とのつながりの素晴らしさに気づいていく物語…と、一言で語ってしまうと、「ありがち」でときに「うざい」図式的なドラマに聞こえてしまいそうだが(実際それで脊髄反射的に敬遠する人も多いだろうなあ残念なことに)、でも前から何度も書いているように、あかり自身が「わけあり」であるのに、その自分の「わけ」とも堂々とぶつかって格闘しているのである。どう考えても、心の中の「開かずの間」は、そりゃほんの少しは必要な部分もあるだろうけれど、基本的には「もったいない」。それをできるだけ開けて、人とちゃんと繋がろうよ、というメッセージは、陳腐に見えても真理である。

ツッコミどころと言えば、そんなに人とのつながりを拒絶するなら、今時こういう形の下宿ではなくアパートでも借りればええやん、と思うけどね。でも、そこでそれこそジェシカいや冬美の言う「食事」である。冬美がとっさに言ったことは必ずしもその場限りのごまかしではなかろう。体に気を遣わなければならないがもちろん自炊する暇も惜しむ滝沢にとっても、母親不在の民男父子にとっても、健康的な食事が提供される下宿がいいのだろう。笹井だって、外食すればむしろ慣れない他人ともっと接することになってしまう、たとえ店の人でも。

私自身、実はこういうのにものすごく憧れている。他人と暮らす、寮のような生活。大昔…小学生のころだからもう40年も前 (^_^;)、そのころ大好きだったザ・タイガース (^_^;) (^_^;)の主演した映画を見た。内容はものすごどーでもいいものだった(「銀河のロマンス」とかいう歌をフューチャーして、宇宙からやってきたプリンセスとジュリーの哀しい恋の物語… (^_^;) (^_^;) (^_^;))けど、今でも印象に残っているのが、タイガースの5人が住んでいるということになっている住居。色の違うドアが5つあって、それがそれぞれの個室で、そのドアから共同の居間に出てくる。ま、つまりは「寮」形式なのだが、小学生の私はそれに妙に感銘を受けていた。楽しそう! 実はそれ以来、その形が私の憧れの住居なのである。

私は、わりとそうは見られないが、実はけっこう人見知りだ。まあ自意識過剰ということなんだろうが、そんなに無邪気には人の輪に入っていけない。でも寂しがりやでもあるので、そばに人がいてくれることも切実に欲している。しかしまた、自分のペースを乱されることは嫌というのも強くある。わがまま、と言えば言えるが、逆に、人とあまり近くにいるとその相手に気を遣ってしまうからなのだと自分では思う。わがままであればむしろ相手を自分のペースに巻き込んでしまえるのだろうが、それができない。
だから人と関わり過ぎると疲れてしまう。でも一人ぼっちではいたくない。まあ多くの人がそうなんではないかとも思うが。

だから私にとって理想なのは、過度には干渉しあわないが、だれかと一緒にいる、ということである。その点で、私がどこか知らない街で一人暮らしをするという環境になったなら(実はそういう経験がない)積極的にこのような下宿を選ぶ可能性はある。一人暮らしの経験はほぼないが(離婚後数ヶ月だけ)、一人旅には何度も出かけ、宿泊にはできる限りドミトリー式の、それがなければ共有ロビーのある安宿を選んだ。もちろん予算の問題もあるが、普通のホテルは寂しすぎるので嫌なのだ。
無理やりに関係を持とうとしなくても、周囲に人がいるのがいい。もちろん普通に街中にいてもそれはそうなのだろうが、ドミトリー宿などでは、宿泊者にそれとはなく連帯感めいたものがある。たとえ短期間であっても、やはり「一つ屋根の下にいる」のは違うのだ。

それにまた、そういう宿を選ぶ人々、という点でもなにか自分と似たものがあるように感じて親近感がある。予算の問題も大きいだろうが、それなりの人との触れ合いを求めているからこそそういう宿を選ぶのだとも思えるから。

たとえ干渉しあわなくても、完全な無関心ではなく、連帯感や親近感を感じたい。物理的にその場に居合わせるだけではなく、心が少しでも触れ合いたい。互いに顔を合わせてにっこりと挨拶するだけでもその触れ合いは生まれる。

上に書いたように、田中荘の下宿人たちは(やはりおそらくお金の問題もあるのだろうが)食事に魅力を感じてここを選んでいるのかもしれない。
だがもしかすると、心の奥底では、だれかのぬくもりを求めているのではないのだろうか。私は人の「潜在意識」というものが、顕在意識では分からないうちに、なにかの選択を左右しているといつも思っている。人は必ず、自分の中で、自分に必要なものを選んでいるのだ。
もちろん下宿人だけではなく、初音さん自身もそうだ。部屋が空いているから、だけなら食事まで作らなくたっていいはず。

そもそも「食事」自体が、人のぬくもりの象徴と言えるかもしれない。このドラマはたぶんそれは意識しているのだろう。

さて、私もこういうところに住みたいと思ってしまうわけだが、かといって、確かに、鑑賞され過ぎる…じゃなくて、干渉される過ぎるのは嫌だ。人には踏み込まれたくないところがある、とか、きょう冬美さんが言っていたように、透明人間になる必要がある、とか、そういう言葉にも一定の共感を持たないでもない。
だがやはり、ちょっと違うぞ、とも思う。干渉され「過ぎる」のは嫌だが、互いに無関心であることがいいとは思わない。
干渉はもちろん「愛」ではない。だが無関心は完全に愛の反対語である。
踏み込まなくても「見守る」ことはできる…相手が心を開いているなら、であるが。
だが心を開かずの間にしてしまっている相手だったら? そこに勝手にずかずか踏み込むのはもちろんいいこととは思わないが、開けてください、開けましょうよ、と働きかけていくことはどうだろう。

そもそもが開かずの間を心に抱いてしまっていること自体が、上にも書いたように「もったいない」。

あかりが「他人」にお節介しすぎる、という声もあるかもしれないが、そもそも思い出せば、あかり自身、「他人のお節介」(?)によって育てられてきたのである。血のつながりがなくても家族になれる。血のつながりがなくても愛し合える。「縁」というのは、愛し合うためのものだ。血のつながりもひとつの「縁」ではあるが、その周辺にだって縁はたくさんある。
たとえ全くの他人であっても、そして、たまたま旅行中に同宿になった人々よりも親近感が薄い相手であったとしても、「縁あって」一つ屋根の下に住んだのだ。せめて「にっこり」しあいたいではないか。

まあ「昨夜はあのコーチの方とどんな話をされたんですか?」はちょっと聞きすぎだ、とは思うけどねえ。




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2010年10月16日

第18話 ありえない…かもね、確かに  #nhk #drama #teppan

お父ちゃんも半分分かってたってことだよね。

<鼻歌まじりで植木に水をやったりしているあかり。きょうは仕事が休みの日らしい。
出てきた滝沢に、このあいだは失礼なことを言ってごめんなさいと謝るが
「忘れた」
とまた愛想もなく走って行ってしまう。
水に流してくれてやっぱりええ男やん、とそれを聞いていた冬美。
「やっぱり駅伝君も敗者復活戦なんや」
「え?」
とそれを聞き返すあかり、だが冬美は、なんでもないと言葉を濁し、仕事に出かけていく。
だがそのとき
「あかり」
と声が。なんと錠と真知子が立っていた。

錠はあかりが初音と同じ部屋に寝泊まりしていると知ってさらに衝撃を受けている。私が無理にとお願いしたのだとあかりは言うが、錠は、なんで断らなかったと初音を責める。いくところのない娘を放り出したほうが良かったのか、と初音。なんの因果かここに娘さんが連れてこられ、部屋がなかったからしばらくの間ここに寝泊まりさせた、その何が悪いのか、と。
田中さんはうちの家族に気を遣ってくれたのだ、とあかりが言うと
「おまえいつから田中さんの味方になったんじゃ!あ”?!」
と気色ばむ錠。
「お父ちゃん! 田中さんは…あかりの、おばあちゃんじゃけ…」
と真知子。
「こうなるように、なっとったのかもしれんよ…」
すると錠はさらに、それならなんで自分に黙っていたのかと真知子を責める。
初音はあかりに、家の人にちゃんと話はついているのかと確かめたではないかといい、
「これは…そちらの問題ですよって」
と席を立ってしまう。

あかりは、自分が他を探して出て行けばいいだろうと言い出すが、錠は
「その必要はない、すぐ尾道に帰るぞ」
会社がつぶれたのに、お前は応援してくれた人たちの手前引っ込みがつかなくなっているだけだ、もう無理しなくていい、帰ろうと言い張る錠。真知子がとりなそうとするが錠は聞く耳を持たない。

結局あかりが折れたらしい。錠は台所にいた初音に、尾道に連れて帰ると言い、初音は黙って頭を下げる。真知子は
「お騒がせしてすみません…なにか失礼なこと言ってしまったようで…お礼はまた改めて…」
「お気遣いなく」

あかりが進み出て
「お世話になりました…」
初音は体の向きを変え、あかりを見ようとしない。ただ頷く。
「…お元気で」
再びあかりを見ずに頷く初音。

田中荘を出て行く3人。

初音は野菜をとろうとした手を止める。
(ずいぶん前にも…同じようなことが、ありましたなあ…)
とナレ。
トランペットを手に出て行くかつての千春の姿。田中荘のある路地の出口で振り返る。あかりも同じようにそこでふりかえっている。少し戻って、かつての「ちはる」の店の前で店を見つめるあかり。
「な〜んや、もうギブアップかいな」
伝が出てくる。
「あんたやったらあのおばはんと上手いことやっていける気がしとったんやけどな。孫が来た、みたいに思っとったみたいやし」
あかりはただ
「ありがとうございました!」
と挨拶して去る。
「………」
納得のいかない顔であかりの去ったあとをじっと無言で見ている伝。

台所で一人
「またしくじってしもた…」
とつぶやく初音。
ふと、床にえんどう豆がひとつ落ちているのを見つける。
「なんでこんなとこに…」
そして昨夜、あかりが豆むきを手伝ったときにボロボロこぼしていたことを思い出す。そしてさらに、あかりの様々な言葉や表情、とりわけ病院でボロボロ泣いていた顔が思い出されてくる。
「………」
ばっと立ち上がり、走り出す初音。

道を歩くあかりたち3人。きょうは久しぶりに尾道焼きにしよう、などと錠は気持ちを引き立てようとするがあかりの表情は晴れない。
「あかり、本当にいいの?」
と真知子。惑わすようなこと言うな、と錠。しかたなく錠についていく真知子、そしてあかり。

初音は道を走っている。
(21年前、18歳の千春が出て行った道ですわ)
とナレ。初音はかなり苦しそうだ。だが止まらない。

市電の駅の近く。3人が着くとちょうど電車が来た。だがそのとき
「ちょっと待ちぃ!」
と初音の声。
立ち止まる3人。
「忘れもんや!…うちの忘れもんや。…ひとこと言わせてんか」
「もう決めたことですけえ、口はさまないでください」
と錠が制止しようとするが、真知子がそれを止める。
「あんたうちに言いましたな。尾道でしか生きられん子と違う。大阪でちゃんとやっていけるところ、見ていてほしい、…あれはハッタリか」
「ハッタリ違う!うちは本気で!」
「そやったら、なんで逃げて帰るんや!」
「うちが大阪におると、…ややこしいことになるけえ…」
「尾道へ帰ったら、…あんたの背負ってるものが消えるんか?…あんたは、…うちのせいで…背負いたくないもんも、背負わされた…。…知ってしもたもんは、知らんかったことにできへん。あんたも…うちもや。…あんたの人生は、あんたのもんやろ!」
「………」

「あかり。もういくど」
と錠が促すが、あかりは
「待って。父ちゃん…うちも忘れもんじゃ。…お父ちゃんごめん。うちこのままでは尾道に帰れん」
「…何を…言い出すんじゃ…」
「尾道に帰っても…うちは逃げられん。千春さんからも…おばあちゃんからも」
複雑な表情でため息をつく真知子。あかりはまっすぐ錠を見て
「大丈夫よ!どこへいってもうちは…尾道の…村上鉄工所の娘じゃけ!」
「………」

「お父ちゃん」
真知子が呼びかけると、錠の目から大粒の涙がポロリとこぼれ落ちる。
「……。わしは……許さん」
「……」
「ええか。ここまで言うたからには…尾道に逃げ帰って来たら…許さんで…」


半分頭を下げるような、複雑な体勢でもと来た方に歩き戻ろうとする初音。
「田中さん!」
真知子が呼びかける。
「はい…?」
「うちの娘を、よろしくお願いします…」
「…おあずかりします」
「よろしくお願いします」
錠も頭を下げる。

いたたまれないふうに、そのまま歩き戻ってしまう初音。
新たな決意を込めた表情のあかり>

きのう篠宮造船で久太さんたちと話している時からすでに、錠お父ちゃんは少しずつ覚悟を決めていたはずだ、自分でも気づかぬ心の底で。あかりを連れ戻す覚悟ではなく、娘の巣立ちを認める覚悟が。あわよくば、と諦めきれすジタバタしてみたけれど、彼の無意識はこうなることが分かっていたのだろう。
こぼれ落ちる涙がそれを物語る。あそこでさらに怒鳴ったり怒ったりジタバタしたりしない。娘が巣立ったことを受け止めた。
実の娘であるかないかには全く(あえて「全く」という)関わらず、ただ可愛かった無邪気な娘が、脱皮してしまった、そのときのある種の哀しみは、父親という存在がたぶん共通に持つ気持ちなのだろうな。それはたとえ、一緒に住みつづけていようが、いつまでも娘よと言ってもらおうが、あまり変わらないのではなかろうか。脱皮してしまった存在はもはや前のままのおさなごではない。もとにはもう戻れない。

あるいはこのドラマは本当に「リアルでない」かもしれない。みんながエラすぎる(?) 人として、正しくありすぎる。決して「立派」ではない、欠点も多く失敗も重ねる人々、前にも書いたけれど、「アホ」な人々。でも人としての根本がエラすぎる。そういう意味でユートピアすぎる? 人の哀しみさえも、それぞれがそっと受け止める優しさに満ちている。ありえない、かも??

それでもいい。おとぎ話でもいい。こういうドラマを見ていたい。

きょうは
「またしくじってしもた…」
の初音さんにまたしても泣かされた。  

前にも書いたが、意地を張って追いかけもせず探しもせず、それでも「いつか帰ってくる」と思っていた娘が、もう永遠に会えないところに行ってしまったのである。それも、何も言わずに! その哀しみたるや、想像しただけで泣けてくる。しかも初音さんはそれを解放していない。ずっと内に押し込めたまま抱えているのである。だれにも覗かせてはならない、とでもいうように。
だが今日の
「またしくじってしもた…」
から、底なしの深い哀しみが垣間見えてしまう。

こういうのを見て、また、「人間関係がドロドロ」とか言う人が出てきそうな気もするが、これは決してそんな言葉で表されるような状態ではない。むしろ皆が皆、ある意味での試練を経てその愛を浄化させる(というよりすでに極めて清らかだと思えるが)のである。

しつこくつい言いたくなるが、ゲゲゲ後遺症(?)でこのドラマを食わず嫌いしていたり、バイアスがかかってちゃんと見られなかったり、あるいは表面しか見られずに脊髄反射で登場人物の行動を批判したり、全体像を見れずに脚本が雑だとか性急に判断したり…する人々がもったいなくて気の毒だとさえ思ってしまうが、まあ人は自分の必要に応じたメッセージを受けとるものだから、その人たちにはこのドラマのメッセージは現時点では必要ないってことなんだろうな。



posted by おーゆみこ at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | てっぱん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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