<クリスマスイブ。保育所でもクリスマスイベントが開かれているが、保育所を辞めることになるさくらは友達との別れが悲しくて泣いてしまう。
紀夫は坂東営業部で、今日付で辞めさせていただくと一同に告げる。潔が、今日からわしが引き継ぐ、と宣言する。
キアリスでのクリスマスパーティ。すみれは仕上がった「キアリスガイド」の原稿を持っていく。最高のクリスマスプレゼントだと喜ぶ一同。
喜代が退院してやってきた。サンタさんがお願いを聞いてくれた!とさくら。
キアリスの外で、連れ立って歩いていた潔と紀夫は、ここからは別の道だ、と互いに気合を入れる。
店に入ってきた紀夫は、すみれにも、一同にも話があると切り出す。そして、坂東営業部を辞めることにした、これからはキアリスの経理を担当すると告げる。
「すみれ。ぼくは、すみれの仕事と家庭がうまくいくように、間に立ちたいんや。きみはここで好きな仕事をするんや。ぼくらはたしかに大事な時間を戦争に奪われた。そやけど、もっと大事なのは、これからや。すみれの人生はあと何十年も続くんや。僕と生きていく人生も何十年も続くんや」
「でも…ほんとうにそれでいいんですか?」
すみれの手を取る紀夫。
「それが、ぼくの幸せなんや。一番自分らしくいられる場所で輝くすみれと、ぼくと、さくらに見せてくれ」
涙をためて「はい」とうなづくすみれ。
そこへパン屋と浅田がサンタの格好でケーキをもって入ってくる。外は雪が降りだしていて、子供たちをはじめ一同ははしゃいで外に出る。ホワイトクリスマスを歌い始める浅田。聞き入る一同。
潔とゆりは事務所で二人、向かい合う。来年は3人やな、と愛しそうにいう潔。メリークリスマス、と言いあう2人。
近江の五十八の実家でも大きなクリスマスケーキを囲んで一同が盛り上がる。
五十八は独りではなの遺影を見つめる。そのそばに野上と一緒に写っている写真をそっと置く。
さくらがすみれに尋ねる。
「お父さんはお母さんのどこが好き?」
「愛に、あふれているところ」
「お母さんは?」
「なんか…なんかな…。ちゃんと見てくれているところ、優しいところ、意外に男らしいところ、家族を大事にしてくれるところ、それから、計算が正確なところ…」
「もうええ」
幸せな家族たち、一人歌う浅田>
微妙、というのはうまい下手とかではなくて、浅田さんの立ち位置の問題。それぞれの家族の幸せな様子を見せながら(明美だって隣に武がいた)浅田さんだけ独り…
。もちろん多くのそういう隣人たちに囲まれて孤独ではないのかもしれないけど、なんか切ない気もする。
そう感じるのは私自身が浅田のように少し寂しい身だからかもしれない。
浅田さんの、とくに最後の、切なさがにじみ出てしまっているような表情がちょっと私にはつらく思えてしまった。
このドラマに限らず、家族の幸せを描くことが多い朝ドラは、好きだし感動もするけど、翻ってわが身を思い寂しくなることも実は多くある。
でも必ずどのドラマにも、「独り身」の人はいて、その独り身も、周りの家族の幸せな姿のおこぼれにあずかる?格好になることがほとんどだけど…
いや、そういう言い方はちょっと皮肉に過ぎる、血のつながった家族ではなくても家族同然の繋がりを持てるという描き方がされると思うけど、そして確かにここでの浅田もそうなんだけど、それにしちゃちょっと表情が切なすぎるぞ。
自分が一番自分らしくいられるところで輝く姿をみせてくれと紀夫は言ったけれど、紀夫自身も得意な経理を担当するという形で「一番自分らしくいられる」ところを確保した。予想通り(というか史実通り?)で佳き哉佳き哉。
その人の一番自分らしくいられるところ、自分らしい形は千差万別だから、それぞれが真剣に探さなければならない。ただし「不満」を原動力とするのではなく。不満にばかり目を向けて、ただ「そこから抜け出す」ことばかり考えているのは不健康な形である。
好きなことに目を向け、自分がそれをもって無理なく貢献できることを少しずつやって行くことで道は出来て行くのだ。