2016年11月28日

#べっぴんさん あらすじ&私評 第49回: 失われたからこそ生まれるエネルギー #NHK #朝ドラ

あら? 明美ちゃんのフラグはむしろ浅田さん?

<昭和23年。ファッションショー以来、キアリスはそこそこ繁盛しているようだ。
上品な身なりの女性が子供服を買いながら、細かい点に行き届いていることに感心している。
その女性はキアリスのカードを持っていた。夫とともにファッションショーの時に来ていたのである。それ以来、神戸に来たときはぜひ、と思っていたという。
  
すみれと紀夫が出かける朝。喜代にさくらを託すが、さくらは喜代にだっこをねだり、すでにずいぶん大きくなっているさくらの重さに喜代は腰を痛めたりしている。
良子の息子良一もやんちゃざかりで言うことを聞かない。
君枝も、琴子が健太郎を甘やかしているのを見て健太郎を注意するが、琴子は取り合わず、君枝は昭一をみやるが昭一は見て見ぬふり。ため息をつく君枝。
明美は未だにあさやの2階に住まわせてもらっているようで、浅田に挨拶して出かけていく。
  
キアリスには住み込みで掃除などの雑用をしてくれている足立武という青年がいる。潔の紹介でやってきた大分のメリヤス工場の息子だ。商店街の子供とじゃれあったりして溶け込んでいる様子。
  
このころは第一次ベビーブームであった。
  
板東営業部。戦前から取引があった大急百貨店に再び食い込めないかと奮闘している様子。
潔は紀夫を連れて接待に行くことを決めた。そういうのが苦手な紀夫は複雑な顔。一心不乱に計算している方が性に合っているようだ。

だが潔は、これから徐々に紀夫の顔を外部に売って、本人にも経営者になる自覚を持ってもらわなければ、と考えている。
  
すみれはまた、なにかを思いついた様子。包装紙を作ったらどうか、という。これまでは無地の茶色い紙で包んでいただけだった。商品にもキアリスのものだと分かるワンポイントを入れようとも提案。
それにしてもこんなに長く続くとはね、と明美。
  
そこへ新聞記者が訪ねてきた。代表者に話を聞きたいという。
  
大急百貨店:大島社長との接待の席。大島社長はファッションショーの時にもいた人物である。
大急特選マークを取り戻すことはできないか、と潔。
オライオンが紳士服に戻ってくれるなら…と大島は言うが、潔は婦人服で勝負がしたい、と譲らない。
だったら売れる仕掛けを考えてくれたまえ、と大島。
大島はそこそこ機嫌は良く、潔や紀夫に酒を勧める。
大急のほうから取引をしたいと思っている店はあるのですかと訪ねる潔。
実はね、一店だけあるんだよ、とカードを見せる大島。カードを見て驚く潔と紀夫。
「女房が言うんだよ、間違いなくいい店だ、とね」
「わしらが間をつなぎます!」

無理して酒を一気飲みする紀夫。

すみれたちの自宅。
すみれお嬢様が新聞に載るやなんて、と嬉しそうな喜代。
「今は子供が多いでしょう、商店街の話題のお店と言うことで取り上げたいんやて」
そのとき外で物音が。
出てみると、門のところで倒れている紀夫。酔いつぶれてしまっているようだ。
胸にキアリスのカードがあるのに気づくすみれ>
  
まあ明美ちゃんも浅田さんも栄輔さんも幸せになって欲しいね。もっとも結婚するとかだけが唯一の幸せの形ではないけれど。
(私の立場からすると、ドラマの登場人物がみんなだれかとくっついて、子供もできて、それをもって幸せ幸せと言われると、ちと「えーと」な感じだけど(^_^;))
  
そうか、このときはベビーブームだったのね。日本は戦争で1度すべてを失い、新たな出発点に立ってむしろすがすがしく、苦しい中でも頑張れた。子供は未来の象徴。未来を信じられたからみんな子供を産んだ。逆に、今の社会で少子化になるのはあたりまえ。既得権益を持ったもの達がそれにしがみつき、それを守ることしか考えていなくて、彼らも含め誰も、未来に明るい気持ちは持てない。何かを手放さなければ新しいものは得られず、成長もない。まさか、だからまた戦争をしよう、とかいう論理ではあるまいが、何かを失うことは悪い一方のことではないのだ。
とはいえ、当時にすでに老いていた人々はいささか気の毒かもしれない。失ったことを嘆き続けずに先を見て進もう、というのは若い人たちだからこそ思えること。戦後のことを語るとき、スポットライトが当たるのは、当時十分に若くて道を切り拓いた人たちばかりだけどね。あ、でも五十八さんはもう孫もできたおじいちゃんか。それでも若い人たちが進んでいくのを後方支援することで生き生きとしている。当時、五十八さんやそれ以上の年代の人たちの気持ちはどんなだったんだろう。
  
今は当時の、「若くて先を見て進もうとしていた」人たちが老いてしまい、そのときの気持ちを忘れてしまっているのだろうか。いや当時頑張っていた人々の多くはもう亡くなっているのか。
 
世代論や社会のことは置いておいて、個人的なことに焦点を当てても、「何かを得るためには何かを手放す」逆に言えば「何かを失えば、何か新しいものを得られる」のは真理だ。創造のエネルギーというものは不足からこそ生まれる。不足を何とかしようとして、そこにエネルギーの流れが生まれる。「ないなら作ればいい」のだ。ただ「持っている」ところにはそのエネルギーは生まれない。そして生きる、とはそのエネルギーの流れそのものだ。持ちすぎてしまっている人、持ちすぎてしまっている社会、は淀む。今の社会の淀みは持ちすぎてしまっているから。それなのに、なお、持っているものを守ろうとし続け、さらに得よう(決して創造ではなく)としている人間の性…。


posted by おーゆみこ at 10:05| Comment(0) | TrackBack(0) | べっぴんさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。