2016年11月17日

#べっぴんさん あらすじ&私評 第40回:お金にまつわる話(飛躍してます)  #NHK #朝ドラ

そうだった、栄輔も戦争で家族を失っていたんだな…。

<泊まることになって上機嫌でドラム缶の風呂に入る栄輔。
着替えを持ってきて、きちんとたたまれた栄輔の服を見るすみれ。
縁側でさくらを抱いている栄輔。喜代がさくらを連れて寝かせに行く。
すみれが栄輔に話しかける。ご両親はきちんとしていたのね、と。毎日忙しう働いていたただの傘職人だと栄輔が言うと、そんなに忙しくても服をきちんとたたむことを教えてくれたのね、とすみれ。
ええご家族やったのね、というすみれに答えて
「そうやなあ、お金がなくても笑いの絶えへん家やったわ。家族みんな仲が良うて…」
妹は洋裁を習っていたという。すみれはだれに習ったのかと聞かれ、はなとのことを思い出すすみれ。
母に見せたくて刺繍をしたことで、私の人生は変わったような気がする、とすみれ。
栄輔は紀夫のことも、どんな人だったのかと尋ねる。写真を見せるすみれ。さくらはまだ会ったことがないと話しているところへ、当のさくらがやってくる。どないしたんや、と笑いかける栄輔に、やや寝ぼけているのか
「お父さん…」
とさくら。はっとする栄輔。
「なんや…なんやろな…。いま、ええな、って…思ったわ…。家族ってええなあ、て…」

ゆりたちは、栄輔はどうしたんだろうといぶかっている。
紀夫の消息は五十八の力を持ってしても皆目見当がつかないらしい。
  
翌朝、さくらの手を二人で引きながら歩くすみれと栄輔。
まだ堅いつぼみの桜を見上げる栄輔。さくらはまだ桜の花が咲いているところを見たことがないという。今年は3人で一緒に見ような、と栄輔。
栄輔が去ってから、じっとひとり、桜のつぼみを見上げるすみれ。
  
店に行こうとすると、商店街の女性達が喪服姿で並んでいる。時子の夫の戦死公報が届いたのだという。すすり泣く声。読経する僧に先導され、位牌を持って涙を流す時子の姿。
「これからこういうことがまたあるんやろうなあ…」
と女性達のひとりが涙ながらに言う。 

お前はすみれに惚れているんじゃないだろうな、と栄輔を問いただす潔。
ただすみれとさくらちゃんを助けたいだけや、と栄輔。
すみれちゃんはだめだぞ、と釘を刺す潔。
自分たちは板東営業部を復活させるために頑張っている身だ、板東家に仕えている身なのだ、と言う潔に、そんな考えだからゆりにも五十八にも遠慮しているのか、と反論する栄輔。
「わしは違う。わしは、自分の生きたいように生きますわ」
仕事場でも自宅でも、ふと物思いに沈んでしまうすみれ。ただ黙って見守るしかない君枝達や喜代> 

栄輔くん、単なる脳天気な横恋慕兄ちゃんじゃなかった。仲の良かった家族をみな失っても、めげずに元気にしているけなげな人だった、つい忘れていた。
  
きのうふと、偶然ついていたテレビのNHKBSで「華麗なるギャツビー」の古い方の映画をやっていて、とくに見るつもりはなかったのに、映像の美しさに見惚れてつい最後まで見てしまった。美しかったけど、後味はいいとは言えない映画だったな。お金に翻弄される人々。貧乏だから、と惚れた女に振られ、彼女を振り向かせたい一心で必死で大金持ちになる主人公ギャツビー。女は金持ちになったギャツビーと再会してその羽振りの良さに夢中になるが、すでに結婚していた。その夫もまた金に任せて派手に遊び、他の女にも手を出す。夫婦仲は破綻しているが、それでもギャツビーに妻を渡したくない夫。その夫の愛人もまた、貧乏な自らの夫と口論になり……一言で言えば、金持ちの男に執着する女たちが起こした悲劇。
  
お金持ちになるには、お金を愛さなければならない、というようなことがいわゆる「引き寄せ」とかのスピリチュアルな世界でよく言われる。お金は汚らわしいものだ、という心理的バリアがあるからお金がやってこない、と。もちろんそういう論は、だからといってお金至上主義であることを是とはもちろんせず、貯め込まず流し、与えることでまた得る、という正しいことも言っているのだが、そのあたりの心理的コントロールは実は難しい。
  
なんでこんな話になったかというと、栄輔が「お金はなくても笑いの絶えへん家やった」と言ったからである。
また極論に走るが、戦争というものは、結局のところ、どこかで誰かが欲の皮をつっばらかしたことによって起こるものだと私は信じている。宗教戦争のように見えるものでさえ、本質的なところにさかのぼっていけば、持つものと持たざるものの対立ではないかと思う。しかも、その根源にいるのは一部の人々ではないかと思う。多くの庶民は騙され、引きずり込まれているだけだ。裕福ではなくても楽しく「笑いが絶えない」状態で暮らしていた人々も、戦争に巻き込まれ、おそらくその当時はそれを肯定し(たとえば君枝のように)単純に祖国の勝利を信じ願っていた。庶民も、目の前になにかバラ色のビジョンをぶら下げられれば、これが欲しい!と思ってしまうのだろう。
まあこの話はとりあえずこれ以上展開しない。トランプが云々、とかきりがないことになりそうだから。

このドラマでは、「商売」をモチーフにしていて、当然お金の話も絡んでくるが、現在までのところその商売理念は肯定できるものだ。つまり、「誰かが喜ぶものを作って売る」そしてもちろん「自分も作っていて楽しいものを作る」ことで、結果的に利益も上げる、という姿勢。
スピリチュアルな世界でいう「お金を愛する」はそういうことであって、それは、人を愛するのと実は変わりがないと思うといいのかもしれない。つまり、「執着ではない愛」。人もお金も、自分のものだ!と執着するといろいろ歪みが出る。それは本当の意味での愛ではない。愛とは、その対象が佳く生きられるように支えること。さすればお金への愛も、お金が「佳く生きられるように」することだ。貯め込むのではなく、流す。生きた使い方をする。
華麗なるギャツビーの登場人物達はそうではなかった。馬鹿馬鹿しい使い方をし続けた。馬鹿馬鹿しい使い方をするために執着した。その結果の悲劇。

あまりここでは触れたくないけれど、私はどうしても、現政権のあり方、トランプを選んだアメリカのあり方、などなど、世界の今のあり方は、結局のところ、ものすごく単純化すれば、「お金(や物質文明)に対する間違った執着」の体現であるように見えてしまう。政権だけではなくそれを支持する人々に、悲しみに近い怒りを覚えている。
  
このドラマが密かにそのアンチテーゼであるならいいと思う。 
  
あーまたなんかめっちゃ飛躍してるな。でもこれが私の朝ドラ私評名物(?)「おーゆみこ節」でござる(^_^;)。久々に出たな。 


  



posted by おーゆみこ at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | べっぴんさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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