2016年10月31日

#べっぴんさん あらすじ&私評 第25回: お金はあくまで「介在するもの」  #NHK #朝ドラ

まず儲けありき、ではないんだよね。
<五十八はすみれからのはがきを受けて即飛んできたらしい。そしてすみれたちが作った商品を手にとって、丁寧な作りに感心している。
明美に気づく五十八と井口。かつての使用人まつの娘だということを覚えていた。まつさんには大変にお世話になった、と五十八。
ウインドウに上等の服を飾っているのを見ながら、自分には縁のないことで考えられない、と述懐し、大事なお嬢様と使用人の娘が一緒に働いているなんて、板東の旦那様はどう思うだろうか、と明美。それを聞いた浅田は、まつさんには世話になった、という五十八の言葉通りだと言い、
「ものごとはまっすぐに見るもんです。せやないと、これから起きること、すべてが曲がってしまいます」
近所の商店の女性達がやってきて、やはりその配慮の行き届いていることに驚いている様子。だがやはり彼女たちはお金が乏しく、一番安いものはなにか、と尋ねる。おしめかな、とすみれたち。
だがそのおしめの値段を聞かれて、答えられない一同。値段の設定をしていなかったのである。呆れる五十八。

一方闇市では、潔は突然警察に連れて行かれてしまった。呆然とするゆり。

すみれの店は一旦保留。やってこようとする客を、ちょっと待って下さい、とりこんでいるので、と大汗かいて井口が押しとどめている。

ものを売るのに値段を考えていないとはどういうことだ、とすみれたちを叱っている五十八。布地はもらったものだし、作業は自分たちでしたから、原価というものが分からないとすみれ。
「きみたちはこの商品にどういう思いを乗せて売りたいんや!」
「なんか…なんかな…」
幼いときの口癖が出るすみれ。だが
「新しくて、便利な…明美さんの育児の方法を……こういう商品にのせて、広めたい、と思うてる。子供達が、快適に、すこやかに成長できるように」
「ほう。ええやないか。…それやったら、そういう思いを乗せた値段を付けなさい。その上で、買うか買わないかはお客さんにお任せするんや」

一方警察の潔は、取り調べの警官に向かって、あんたらだって闇で買ったものを食べて生きているんだろう、と言い、警官は潔を殴る蹴るの暴行。
  
すみれは女性達にそのおしめのよさを説明し、どのくらいだったら出したいですか、と問いかける。女性達は、ご祝儀という意味もあるし、少し高めながら10円でもいい、と言ってくれる。だがお金を払おうとした女性達のお腹が空腹で鳴る。
すみれはそれを聞き、良子民江明美に「…ええよね?」と聞いたあげく、特別に無料でプレゼントする、と言い出してしまう。ますます呆れる五十八。
女性達は大喜びで、みんなに宣伝する、と口々に。そして明美がやりかたを教える。
呆れた顔の五十八を、「ま、きょうのところは」となだめる浅田。五十八に向かって頭を下げるすみれ。
店の外で、あいつらはしょうがないな、と言う五十八に井口が、
「昔の旦那様を見るようですなあ。商売はまずは信用から、言うて、もうけなど考えずに商売をしてはったやないですか!」
「いやあ?」
空とぼける五十八。笑いをこらえる井口。五十八もつい口元がほころぶ。

だがそこにゆりがやってきた。ただならぬ様子。潔が警察に連れて行かれたと訴え、憔悴している>

お嬢様でもなんでもないが、本当に商売というものが苦手な私にとってはこのドラマはなかなかによい手本となる、のかもしれない。
商売が苦手なくせに、普通の会社つとめ、という形態をはずれてしまって、そうはいってもやはり自分でなにかを売っていかなければならない状態ではある。私も彼女たちと同じで、値段を付けるとか見積もりを出すとかが苦手で、申し訳なくなってしまうのだ。
でも昨日も、とある旧知のシンガーと久々に会って、そのとき彼女は別の友達に自分のライブの宣伝をしていたが、その友達は2000円というミュージックチャージを見て、「チャージ2000円なんて、やっすい!」と言った。ほおお。そうなのかあ。自分が貧乏だからビクビクしてしまう私だけど、得たいと思ったものにお金を出すことを世間ではそんなに厭わないのかなあ。値段を安くする、よりも質を高める、ほうを考えるべきなのかもしれない。まあある意味では単純なことで、人が欲しいと思うものやサービスを提供することに全力を尽くす、ということだよね。かつ自分たちが作ったり考えたりしている時間を「楽しい」と思えるもの。儲けたい、ではなく、作りたい、したい、そして届けたいが先に来るべきもの。
それを理想論だと言う人もいるだろうが、逆に言えば、自分が納得できないものを不当な値段で売ったり、それどころか詐欺まがいのやりかたで儲けたり、それではいくらお金が入っても心は満たされない、それどころか少しずつ心は傷つき,病んでいくのではなかろうか。
まあ詐欺師という人種は、「自分が考えた絵図が上手くいく」という現象にこそ満足を感じるらしい。マネーゲームと言うとおり、詐欺ではなくても巧妙なお金のやりとりだけで利益を上げる人も、その「ゲーム性」が好きなのだろう。ゲームに勝つことが快感なんだろう。
  
そういえば昨日の毎日新聞に、貨幣の発明、というテーマでエッセイが載っていた(長谷川眞理子さん)。物々交換から、抽象的価値としての貨幣を発明した人類。それは言語の発明に次ぐすごい発明だ、と東大の岩井克人名誉教授が言っていたがほんとうにそうかもしれない、と彼女は書き、だが便利なものには負の側面が必ずある、という。貨幣という抽象的価値を得ることで、人間は自分が「自立」したと思い込む。だが実際には、狩猟採集時代と同じように、みんなで共同作業をすることで生きている、たとえば食料やものを作る人がいなければ買えないし、物流に携わる人がいなければ届かない。ともに生き互いに生かされているのに、貨幣が介在することで共同という感覚がなくなる、と。
とても共感した。
お金を否定しては生きていけない。お金だけが大事なのではない、と言っても限度はある。だが、お金はあくまで「介在するもの」でしかない、ということを忘れたらやはりどこかが歪んでくると思う。

あと今日は、浅田さんが明美さんに言う、「ものごとはまっすぐにみるもんです」という言葉が良かったな。本当にそうだ。前にも書いたが、明美はうすうす自分でも分かっていながら、逆恨み的な歪んだ感情を持ってしまっている。ものごとは自分が見たいように見える。自分のフィルタを通してのみ世界は認知され、その認知されたものがその人にとっての「現実」となる。歪んだフィルタを通してしかものごとを見られなくなっている人は、歪んだ世界にしか生きられない。裏切られたり騙されたりするよりも、助けられたり励まされたりするほうが人生ではずっと多い、と私は思っている。幸いにして私の「フィルタ」は明るい色で出来ている。
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posted by おーゆみこ at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | べっぴんさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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