2010年10月08日

第11話 愛しいアホたち #nhk #drama #teppan

愛しくて切なくて。

<真知子がいなくなった、と慌てた錠、鉄平、あかりは心当たりを探し回るが見つからない。

そのころ真知子は初音に、あかりに何か言ったかと尋ねていた。初音は「あかりがなにか引っかかっている」ということにピンとこない様子だが、はっきり言ったことは、あんたとは二度と会わない、ということだ、と答える。そして、突然座布団から降りて、事情も知らずに乗り込んで行ってややこしい思いをさせてしまった、お詫び申し上げます、と畳に頭をこすりつける。

手土産のケーキ2切れを差し出す真知子。

「きょうは、あかりの18歳の誕生日です…。千春さんが、母親になった日です」
「……」

そのとき電話が鳴る。あかりが、真知子が前の日に大阪のことを口にしたのを思い出し、そちらに来ていないか、と電話をかけてきたのだ。だが真知子が首を横に振るのを見て初音は真知子が来ていることは隠す。そして
「これが最後やし、ついでにきっちり言うときまひょ。あんたは生まれた尾道から一歩も出んと暮らしていくのが一番や。そやからな、これからは、育ててくれたお父さんお母さんに、精一杯、恩返しせな、あきまへんで。ほな、あとは達者でな」

真知子は玄関口で、見送る初音を振り返り
「恩返し、ですか…? あかりが、どこの誰に、恩返しせんといけんのですか」
「育てられたもんが、育てたもんに恩返しするんは、人として当然のことと違いますか」
「そうです。普通は、そうです。でも…私とあかりは親子ですから」
それだけ言うと、頭を下げて出て行く真知子。
真知子の出て行ったあと、最敬礼のように腰を折って深々と頭を下げている初音。

恩返しせなあきまへんで、と言われた言葉が頭を離れないあかり。

一方、初音にも、きょうはあかりの誕生日で千春が母親になった日だという真知子の言葉が脳裏に響く。

真知子はあかりの名の入った誕生日ケーキを持って帰り、これのために出かけていたと装ったようである。
なんだ、とほっとしている一同。大阪のベッチャーのところに行ったんじゃとあかりが言い出したから、と鉄平が言うと、あらあら、そんなとこ行くわけないじゃん、と真知子。あかりは思い込み激しいとこあるからな、と錠。演奏会ドタキャンしてまで尾道で就職することにこだわるなんてのも
「呆れる前に、笑えるわ」
と欽也。だがあかりは憮然として
「笑いたかったら笑えばええじゃろ!うちだって…うちだって自分のやってることあほらしい。ばかげとるぐらいわかっとる!けど尾道で就職するためには、なりふりかまっとられんのよ!」
「尾道じゃなきゃいけんの?」
と真知子。
「だって…。だってうちはほんとは……。この尾道とも…この家族とも……縁もゆかりもない子じゃけん!……たまたま、ここで生まれただけじゃ…」
泣き声になるあかり。
「けどうちは、うちはずっと、尾道の子でいたいんよ!…村上あかりでいたいんよ…!…」
泣きながら縁側に行って座るあかり。

欽也が声をかける。
「なああかり。大阪には就職があるんじゃろ?」
「大阪なんかいかん!」
「なんで?大阪行くと、なんかまずいんか?…おまえが大阪に行くと、わしらが悲しむとでも思うとるんか? おまえにとって、この家族は、そんなもんなんか?!」
怒声のようになる欽也。
「必死で…必死でしがみついとらんといけんくらい、そんな危ういもんなんか…?なあ、あかり…」
そこへとりなすように鉄平が割って入り、就職がだめになったら家にいて「家事手伝い」すればいいじゃないかと言う。
「そんなふうに家族にだけは甘えとうないんよ!」
とあかり。
「……まさか…恩返しのつもりね?」
真知子が言い出す。
「…他の親はしらん。けどうちは、あんたに返してもらわにゃいけんような恩、これっぽっちも売った覚えないけえね!ええ?二度と恩返しなんて言葉、口にしなさんな!次恩返しなんて言ったら、ほんとに、叩くけんね!」
珍しい剣幕でいいながら立ち上がる真知子。
「………?…」
じっと真知子を見るあかり。
「お母ちゃん…。次言うたらもなにも、あかり、恩返しなんて言葉、一言も口にしとらんよ?」
と鉄平。
「…え…?」
はっとして座り込む真知子。
「お母ちゃん…やっぱり今日、大阪に…」
とあかり。

誕生日ケーキのろうそくに火を付ける鉄平と欽也。

「ひとつだけ教えて…。お母ちゃんとお父ちゃん、なんでうちをここんちの子にしようて決めてくれたの?…それってなんか大変なことじゃない? 簡単なことじゃないじゃろ?」
「……それは、おまえ…。あの…千春ちゃんがうちにきて、半年近く一緒に暮らして…天涯孤独じゃ言うたけえ…そしたら…」
言葉に詰まる錠。真知子が割り込む。
「おとうちゃんはそう、大事なことを…話しの運びがへたくそなん…。うちは、あんたのひとことで、決心がついたんよ?」
「…え?」

だが錠はそれがなにかよく分からない様子。
「忘れたんね? あんたが初めて、赤ん坊のあかりを抱いたときよ…」
「え…なんじゃろ…」
「『かわいいのう』…言うたんよ。…そりゃ、優しい顔して、言うたんよ」
「……そりゃ、おまえ…」
「それだけで、十分じゃろ、この子をうちの子にしたい思うのに、他にどんなへりくつがいるんよ」
涙があかりの目からぽろぽろこぼれ落ちる。
「恩返しあてにして、子供を育てる親がどこにおるんよ!」
立ち上がって電気を消す真知子もほおに涙。
鉄平と欽也がハッピーバースデーを歌い出す。涙でくしゃくしゃになりながらもほほえんでろうそくを吹き消すあかり。

大阪では初音が、真知子の持ってきたケーキの一切れを千春の写真の前に供え、自分ももう一切れを食べている。

「うち…決めた。うち、大阪行く…、うち、悔しいんよ。あのベッチャーに、うちは尾道でしか生きていけん子じゃとか言われて…思い出すたび、悔しい…。そんなら逆に、こっちから大阪に乗り込んでやる!大阪で立派にやれるいうこと、見せつけてやろうじゃん!」
元気のよみがえったあかり、仲の良い家族の風景の間に、暗い大阪の部屋でひとり、千春の仏壇にたてたろうそくに目をやる初音の姿のシーンがかぶる。

そのうち初音は千春に供えたケーキも食べ始める。

(大阪の、大阪人は、…ひとすじなわでは、いかへんでぇ…)とナレ>

きょうは泣けたという声が多いようで、そりゃ私も泣いた。
けど私の泣いたのは、あかりと真知子よりもむしろ、初音のことを思ってなのかもしれない。

表面的に受け取れば、初音はあかりや真知子の気持ちも分からずに勝手なことを言うし、そもそも自分は恩返ししてもらおうと考えて娘を育てていたのか、そんなのは間違っている、と思えるかもしれない。
だが私はそうではないと思う。

きのうの放送で、あかりが「みんなベッチャーのせいじゃ!」とベッドに大の字になってわめいていた。そうだよな、と思う。ベッチャーがあのとき、勝手に取り乱して村上家にあがりこんで千春千春と探し回り始めたのが「元凶」である。あそこでもっと落ち着いて真知子に話を聞くとか「大人」な対応をしていれば、あかりたちまで巻き込んでの大騒ぎをして、あかりの出生の秘密を明るみに出してしまうことはしなくて済んだはずなのだ。
だが、あのとき、普段いけずで、平然とした表情を崩さない、ある意味では「かっこつけの」初音さんがあそこまで取り乱して大騒ぎをした、その心情を思うと、私はそれが泣けてくる。
18年前に出て行ったきり、そのまま連絡がなかったのだ。いつかなにか言ってくるだろう、いつかきっと顔を見せてくれるだろう、そう毎日思いながら、ずっとずっと待っていたはずだ。今日連絡があるか、今帰ってくるか、と。
そしてついに、なにかのきっかけでたまらなくなり…あるいはなにかの事情で写真やトランペットがそのとき手元にやってきたのかもしれないが…写真を頼りに尾道までやってきた。やっとやっと探し当てた場所で、「千春さん」を知っている人がいた!! 18年間ずっと待って待って待って待っていたのだ。そりゃ取り乱しもしよう。

と思い、私はきのうの放送でも、多くの人が泣けると言った演奏会を外で聞くシーンも、そんなには(自分が吹奏楽部であったからあかりの気持ちは分かる気もするが)揺さぶられず、むしろ勝手に上のようなことを想像して涙目になっていたのである。

だから今日の冒頭から、真知子さんが、あかりの誕生日だ、千春さんが母親になった日だ、と初音さんに言うのを聞いたとき、涙腺が…。
そして、村上家では一種の「大団円」的になっていて、それはそれとして感動しながらも(いやあ欽兄グッジョブ)、そこにはさみこまれる暗い大阪の部屋で独りの初音の姿に、より激しく揺さぶられていたのだ。

私は自分が子供を持っていないだけに、母親の側からの親子の情というものは「想像」するしかない。
だが初音さんの気持ちは、親子云々を飛ばしても切なく迫る。上に書いたように(あくまで想像ではあるが)愛しい人が、今帰るか、今なにか言ってくるか、と待っている切なさが分かるのだ。

初音さんだって恩返し云々と思って千春を育てたはずはない。だが、あえて言う、「こんな仕打ち」をされるいわれだってないはずである。こんな思いをさせられるすじあいはないはずである。そりゃ、なにか「いけず」でかたくなであって、千春さんにとって不都合なことがあったから彼女は家出したのだろうが、それこそ逆に言えば、血が繋がっている家族であればこその遠慮のないぶつかりあいであったのだろう。なんのかんのといっても、血が繋がっているのだから、いつか戻ってくる。そう無意識で信じていても不思議はない。それが手ひどく「裏切られた」。そう思えば「恩返し」という言葉だって出てきてしまう。怒っても怒っても、もう千春は答えてくれない。恩返しもしないで、と悪態をついても聞いてくれない…。
(また勝手に想像して泣いてしまう私…)。

もちろん恩返し云々というのは、初音から見れば、血の繋がらない子をわざわざ育ててくれたのだから、それはまさに「恩」であって、実の親子ではないと思うからこそ言うのである。それは結果的にあかりを悩ませることになるのだが、初音が人でなしなわけでは全くない。

だが初音はアホである。格好付けすぎなんだよ。素直じゃないんだね。不器用なんだね。歳を重ねたからといって人間が勝手に上手い具合に成長したり賢人になったりはしない。自業自得の部分があるとはいえ、苦しい思いを抱えたままそれが溶けてしまうことなく、むしろ大きく固く重くなっていってしまう。
50歳を過ぎてもまだ、あたかも思春期のガキでもあるかのように思い迷う私には、あかりもさることながら、初音の心情が響いて仕方がない。

ゲゲゲが好きすぎて新しいドラマになじめなかった人はちょっとお気の毒とか思ってしまう。でもまあ「あわない」人もいるだろうけどね。
ツイッター上では、「人間関係がドロドロ」とか書いている人もいたが、こういうのをドロドロとか言わないよ。こんなに愛しい人々ばかりなのに。そりゃみんな、ある意味「理不尽」だったり衝動的だったりしてる。ゲゲゲの登場人物はみんなかなり大人だったかもなあ。それに比べたら、一番人間ができているように見えた真知子さんだって、やっぱアホだったわ(「次言ったらもなにも、そんなの一言も言ってないよ…?」にはワロタ)。でも愛しいアホたち。いろいろトンチンカンでも愛ゆえの行動で、みんながそれを分かっているから赦しあう。自分も含めて赦す。こういうのがいいなあ。みんな間違う。でも間違うから愛しい。アホだから愛しい。




posted by おーゆみこ at 12:09| Comment(11) | TrackBack(0) | てっぱん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はい、泣きながらおーゆみこさんの私評を読んでおります。長年つかえていたものの正体がとけたような…そんな思いです。これ以上書くと、自分の生い立ち日記になりそうだからしませんが、あかりの姿を自分に重ねるというより、初音や真知子の姿に心が動きました。

なんか久しぶりに、特に何もないけれど実家に電話したくなる…そんな素直な気持ちになりました。
Posted by LIMIT at 2010年10月08日 13:38
初音も真知子もアホというくだり・・・。
二人とも、ちりとてちんの順ちゃんの言う「一生懸命なアホ」ですよね。
「一生懸命なアホほど厄介なもんは、ない。けど、一生懸命なアホほどいとおしいもんも、ない」
まさに、それですね。
やはり、ちりとてちんに通じていますね。
そして、sグチ氏いわく、明日はちりとてファン必見だとか。
なんとなく想像がつきますが、明日は、何がなんでも、見ます!
Posted by kiriko at 2010年10月08日 14:49
つい外から自己つっこみするくらいずっと考えてしまってるのだが。
初音さんは、若干ずれてはいても、娘と別れる親の気持ちが痛切だから、真知子さんからあかりを取り上げる…でなくても真知子さんとあかりの間がギクシャクすることだけはさせまいとしている部分もあるのだろうなあ。
Posted by おーゆみこ at 2010年10月08日 14:52
参ります、おーゆみこさんの私評。

ゲゲゲに現実を感じたように、実際は尾道の家族のように痛いほど思いのある家族ばかりではない。家族の間には冷たいものが流れている場合もあるし、恩返しというか子なんだから親なんだから○○をしてくれて当然と求める場合も、子供の出来が自分のアイデンティティーとなってしまって、自分の子を「仕上げる」ことに血道をあげる場合もある。ファンタジー、でも製作陣はファンタジーを投げかけることにより、渾身の問題提起をしていると思います。思いやるというのはつくづく高度なことだと思う。でもそれぞれが、それぞれに不完全なままぶつかりあうことで、何かが大きく動いていくのも真実ですね。
Posted by いとぱん at 2010年10月08日 16:06
あえて茶々入れ風に書いてみますが、

あそこで"二個目のショートケーキ"の食べっぷり... というのが、BKらしいというか、このドラマの製作陣(のセンス)なんだなぁ、とあらためて思いました。
Posted by 宏@明日は愛宕山参り、かな? at 2010年10月08日 16:16
宏さん、私も初音さんの二個目のショートケーキを食べるシーンが、制作陣のセンスというか、好きでした。上手く言えませんが、初音さん、大丈夫。いろいろ上手く運ばないことがあっても食べることができる人は大丈夫という、救いのようなものを感じました。
Posted by あかべえ at 2010年10月08日 20:59
あかりちゃんがしがみつきたかったのは、家族の心でなくて、自分自身の心だったのでは、と思います。
初めて見かけたのに気になって観察していたらペットを海に投げ捨てたおばあさん。
初めて吹いたのに何年も使っているかのように手に馴染み、気持よく吹けたトランペット。
初めて食べるのに、なぜか懐かしく美味しく思えた昼餉の膳。
自分から決別するつもりだったのに、初音さんに先に引導を渡されてしまい、チクリと痛んだ心の奥。
あかりちゃんは、そんな自分が不安で、音楽からも大阪からも離れようとしたのではという気がします。

結局、初音さんもあかりちゃんも、「血縁」の深さをどこかに感じているからこそ、距離をおこうとしてできなかった。
それならいっそ、思い切って近づいてみるのも一つの方法かもしれません。

それにしても、鉄平くんが持ってきた写真とトランペット、いい仕事してます。鉄平君、Good Job!
Posted by 桜路@オープニング曲私は好きです at 2010年10月08日 21:58
うーん、悔しい(笑)
特に今週のおーゆみこさんの私評にはうなりっぱなしなんです。あー、そうなんだよなーと。気に入った映画やドラマは、わりと分析的に深読みして楽しむタイプなんですが、その自分の解釈のさらに上を行く解釈と言うか、意味の読み込みというか、そういう文章を見せつけられて感心されまくりです。
Posted by 灰 at 2010年10月08日 23:48
今ツイッターを見ていて、午後に電車の中でメモして書こうと思っていたことを忘れていたことに気づいた。

初音さんは真知子さんの持ってきたケーキを食べ、あかりは初音さんの作ったお昼を食べ、千春さんも真知子さんの作ったお好み焼きを食べる。3人ともいい食べっぷり、ってのが共通してて、これは偶然じゃない。
まあこのドラマの芯は「音楽と食」だそうだから当然だろうけど、「食べること」「食べさせること」は重要なモチーフなんだな。

話しは全然変わるけど、あかりのいない演奏会を見ながら、「また水にはまったのか」「それは幼稚園の時だ」という会話にも、あかりが両親たちとつむいできた時間、絆が表現されていた。断じて「アラが目立つ」なんてことはない素晴らしい脚本だと思う。過不足がない。
おもえばちりとてのときも、話が進むに従って、かつてのなんでもない台詞や行動が遠く伏線、というか重要なモチーフだったことに気がつかされて舌を巻いたけど、これもそうなのかも…(期待ワクテカ)。
+(0゚・∀・) +
Posted by おーゆみこ at 2010年10月08日 23:55
いとぱんさんも書いておられますが、私も「恩返し」という言葉がひっかかっています。「恩返しをあてにして子供を育てる親はいない」現実はむしろ(それが無意識の場合も含めて)逆のことが多いのではないかと思います。私自身、子供に対しても周囲の人に対しても見返りを求めない人間でありたいと常々思っていますが、現実にはかなり難しい。
言い切れる真知子や尾道の家族の存在はファンタジーですが、ドラマだからこそ、そのファンタジーを信じたいと思います。

それにしても真知子を見ていると、以前NHKでやっていた里親のドキュメンタリーに出て来た、養子を広い包容力で見守る養母の方を思い出します。
Posted by しまじろう at 2010年10月09日 02:52
たびたびすみません。
初音さんの電話でのおしまいの言葉、「あんじょうおたっしゃで」だったかと。
(書き起こしてくださっているのでもおかしくないですが、ちょっとニュアンス違うかと思い余計なお節介を)
一瞬、京言葉のように思えましたが、大阪でも使うのですね。(富司さんが言うとやはり京都に思えてしまうからかも(^_^;))
Posted by 宏 at 2010年10月10日 09:24
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