2010年09月29日

第3話 「ザラっとしてて」かなり好きかも

これ、かなり好きかも、とやはり思う。

いくら、「本質的にたいしたことない」といっても、動揺はする。しかしそれを意志の力で抑えていく描写が、力みすぎていなくて心地よい。周囲の気の遣い方も、シリアスになりすぎず、かつなおざりにもしていない感じでほどよい。
そうはいっても辛いはずだ…かわいそうに…というような描写のしかたでもなく、あかりは必死で耐えていた、でもなく。
だからといって「全然へっちゃら!」でももちろんなく。

感情的に動揺するのはあたりまえ。けれど、人間としての、意志の力で、よりシアワセであるべく、反応を選び取る。我慢、とは全く違う。無理矢理に感情を抑え込む、のとも違う。もっとアグレッシブで果敢な挑戦。

私が以前からバイブルのように思っている「幸福学のすすめ」という本があり、その本の著者はその考え方を推し進めるべく、Option Institute「選択協会」という団体を設立して活動している。なぜ「選択」なのかというと、「幸せであることを自ら選択する」というのが根本のポリシーだからである。
つまり、外的条件によらず幸せであるためには、自分自身がそう「意志」し、「選択」しなければならない。悲しみや辛さなどの「感情」をコントロールすることはもちろん易しくないが、それでも、それに流されたり浸されたりしたままでいない。幸せは心が決めるもの。自分が幸せであれるための考え方を、自分で選択する。

今までなんの疑いも持たず、血の繋がった親子だと思っていたのが、そうでなかった。それは衝撃である。いやしかし、「血の繋がった親子だと思っていた」と書いたが、血が繋がった云々など、意識したこともなかっただろう。そんなことは意識しなくてすんでいたのである。ならばこれからだって意識しなくたっていい。なんの問題もなく深く理解し合った親子きょうだいであってきたのだ。なんの違いがあろう。
とんでもない「ベッチャー」ばあちゃんが「突然出現」したほうがよほど「問題」だ。それまでになかった要素なのだから。

世間的に考えたらそれこそものすごい重大で「かわいそうな」問題をこのように扱う、という点で、私はかなりこのドラマに引き込まれた。主人公の女の子も、演技のことは私にはよく分からないが、たぶん脚本家や演出家が意図しているであろう世界観を、過不足なく体現しているように思える。地味目な長兄も、単純な次兄も、「長男は金が欠ける也で次男は金を失う…あとになって気づいたんですが」とか動揺の余り語り出してしまう父親も、私はすでに愛している。もちろん母親は言わずもがな。てか安田成美いいじゃん!

しかし危惧したように、すでに、ゲゲゲファンだった層の一部はこのドラマから離れて行っているようだ。この3回分の描写ですでに「引いて」いるらしい。そして、比較してゲゲゲの脚本の良さが際立つ、とか思っているようだ。
その感覚を否定はしないが、私は全くそうではない。それどころか逆に、いやもちろんゲゲゲは好きだったが、やはり私にとってゲゲゲはほんの少し物足りなかったんだな、と今更自覚する。

ゲゲゲはやはり、「まとめ」で書いたこととまた少し矛盾するかもしれないが、「普通」の世界「寄り」であったのだ。制作側の本当の意図は分からないが、やはり多くの人は「普通がいいよね」と思ったのではないか。もちろん妖怪の世界など、水木しげるさん自身はいわゆる「普通」には抵抗さえしている人だと思うが、ドラマの全体のトーンは布美枝さん寄りだった(あたりまえ)だからね。
普通がいいよね、という感覚にも反対はしない。それがつまり、なにか大きなことを成し遂げたりするんじゃなくてもね、ささやかでもね、という意味であるなら大賛成だが、「まとめ」で書いたように、それは容易に、「普通じゃない」には眉をひそめる(もちろん、普通以上に優れている、ならそうではないだろうが)傾向に繋がる。眉をひそめないにしても、過度に気の毒がってみたり、「自分はそうでなくてよかった」と考えることで間接的に貶めていたり。

ゲゲゲを好きな人がみなそうだというつもりではもちろんない。私も好きだったしね。でも、結局の所、ここのところの朝ドラの視聴率は15%〜17%で、そこから「ゲゲゲ」のために増えた層、というのはおそらくどちらかといえば保守的な層なんだろうなと思う。
まあ朝ドラはむしろ「そうあるべき」なのかもしれないが。
ただ私としてはむしろ、朝ドラこそ、それこそ「ザラっと」したのをやってほしいと思ったりするのだ。保守的傾向の多くの人が「なんだこれ」と思うようなものでも、その中のごくごくわずかな人でも「そうか…そうかもしれないな」と思ってくれたりするといいのでは、とか(何様、ですが)。
ゲゲゲは、前半の貧乏時代はともかく、後半は特に「ざらっと」してなかったからね、少なくとも私には。
サンバで忙しい、PCが壊れた云々と言い訳しながら、あまり私評を書かなかったのは、やっぱりどこか完全にはノリ切れてなかったのだと今更ながらに思う。このサイトのコメント欄が低調だったのも、サイトを変えたせいもあったかもしれないが(それにもちろんエントリ自身が少ないので仕方ないが)、私のサイトの常連さんはけっこう私と似たような感覚の方がやはり多いので、「悪くない、好きだ、ほのぼのする、考えさせられるところもある」とは思いつつ、「でも何か書きたい衝動に駆られるほどではない」だったのかもしれないですね。


posted by おーゆみこ at 14:07| Comment(6) | TrackBack(0) | てっぱん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どうも「ゲゲゲ」は書き方が一方的な印象があって、惰性で見てはいたけど、ハマれませんでした。
「貸本撲滅」にしても「マンガに出してよ」にしても、書き方が一方的で、愛情が感じられないというか、「ほうらね、ヒロインに辛くあたる、お約束の悪役ですよ〜」っていってるようで、深みが感じられなかったんです。

こんどのてっぱんは、ちりとてとは方向がちょっと違うけど、なかなか作りこみが凝ってますね。
「初音」さんがトランペットを投げたら、その(持ち主の)娘が飛び込む。また投げたら、また飛び込む。
「初音の鼓」を思い出して一人爆笑しておりました。
Posted by 櫻路@鬼太郎は好き at 2010年09月29日 14:31
ここ数年、あちこちで時々言うんですが、好き嫌いに過ぎないことを、いい悪いに取り違えて「批評」と称しているのが(プロも含めて)横行してないでしょうか、と、自戒の念も込めて思ったりします...。

初回は海ドボン二回、今日はマウスピースのバズィングと、新人にセリフ劇で無理に展開たりはせずに、でも効果をあげるなど、演出もうまく考えてるなぁと感じました。
尾道の家族にもハマりつつありますが、ど新人+大御所の組み合わせが、いい刺激を与え合っているのを(月曜の冨司純子のスタパも見て)感じられ、うれしく見ています。
Posted by 宏 at 2010年09月29日 16:13
のめり込むほどに愛したものの後では、そこにあるのがそれでない、というだけで腹立たしかったりしますからね。私もちりとて後、てるてる後はそうだったなあ。その気に入らなさが「劣る」に思えるのもまあ、致し方ないことで。その点では今作は気の毒かも。視聴率が下がることはもはや目に見えているようなもんだし。
それにしてもまたぞろ、初回視聴率が云々て記事が出てるけどいい加減その無意味さを認めたらどうなのか。頭悪すぎ(誰が?ですが)
Posted by おーゆみこ at 2010年09月29日 17:08
私評、うんうん、そーなんですよって感じです。ちりとてのころから、おーゆみこさんの私評に唸り、言葉を書きとめていたりしました。ゲゲゲブームの中、出だしは良かったのに乗り切れなくなってしまった自分と世間の距離を強く感じており、ひとつの型に疑問を呈さない、ひねらない演出に、深みを感じられず、もっとたとえば小次郎おじちゃんがお気楽のようでいて、愛されていないのではないかと孤独を抱えていたり、そんな人間の厚みを求めていました。私評が冴えわたる作品となりますように。楽しみです。
Posted by いとぱん at 2010年09月29日 19:46
お久しぶりです(^^)
私は「ゲゲゲ」は大好きでしたが(本日のゲゲ絵」まで毎日チェックしてました)、これも楽しめそうだなあと思っています。
尾道が舞台で、そこに袈裟を着た尾美としのりがスクーターで登場するなんて(笑)。そうか「さびしんぼう」の彼はちゃんとお寺を継いだんだな、って。
ヒロインの顔も今日はじめて見たけれど、なかなかにいい面構えだと思います。
Posted by Nikita at 2010年09月29日 21:31
お久しぶりです。ゲゲゲに関して完全同意。実話ベースだから、水木さんがすごい人だから、史実を追うような感じで見ていられたし、それなりに楽しめたけど、根幹のところが実はスカスカな気がしてイライラしてました。そういうこと、他の所じゃなかなか言えない雰囲気だったのが非常に息苦しくて(笑) 今季のてっぱんは、OPからして何か起こそうとしている姿勢が見えてて期待してます。
Posted by 灰 at 2010年09月29日 23:08
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