2012年02月29日

第124話 苦労

「どないかなる」
聡子にもちゃんと糸ちゃんの遺伝子が。勝さんの遺伝子とのブレンド?

恵まれて、甘やかされたかに思えるお嬢様が、意外にも逆境にも強かったりする。まあ聡ちゃんは今は逆境というわけではないが、糸子以上の「省エネ」」ぶりでしたいことはこなしていきそうだ。テニス部の先生も太鼓判押してたしね。
あ、そうか聡ちゃんはあれだ、千代さんの直系か!

最近私のメインの興味となっているいわゆる「引き寄せの法則」とか、思考は実現する、とかいうことから考えたら、楽天的思考で人生に信頼を置ける人は、どんどんいいものを引き寄せるわけである。引き寄せの法則云々の本に曰く、大金持ちがときおり破産したりするけれど、すぐにまた成功して金持ちに戻るのは、お金には不自由しないという基本的な「世界観」があるからで、だからまたすぐ引き寄せる、とかなんとか。実際私が最近知り合ったとある人も、大昔お嬢様で何不自由ない暮らしをしていたけれど、親が人に騙されて破産し、親戚を転々とするような暮らしになった、でも超ポジティブシンキングの祖母と一緒にいてその影響もあり、全然辛くなくてその生活を楽しんでいるうち、自分は長じて会社経営を成功させているらしい。
千代さんも大富豪の暮らしからビンボな善ちゃんとの暮らしになっても鼻歌交じりでるんるんしていて、今となっては東京に直子を見舞いにいって大金を惜しげもなく使ってしまうぐらい、少なくとも精神的にリッチでいられる状態になっている。

若いときの苦労は買ってでもしろという言葉があるが、本当はそんなことはないのかもしれない。苦労人には思考上の限界がある。糸ちゃんにだってその傾向はある。北村のいう「ババアの決まり文句」も、苦労してきた糸子の「思考上の限界」かもしれない。まあこの後彼女はそれを打破していくようだが、むしろ聡子たちに教えられていくのであろう。もちろん糸ちゃん自身の基本は「どないかなる」精神だが、苦労の記憶が歳とともに強まってしまった。

というより、本当に強い人は、具体的に(端からそれと分かる)苦労をしようがしまいが、あまり関係ないのかもしれない。いわゆる苦労をしても、本人があまりそう感じてなければそれは苦労ではない。糸ちゃんの「苦労」も若い頃は苦労でなかった。
あ〜、辛い、でも苦労しなきゃね、成長しないね、などと思いながらする苦労はたぶん期待ほどの成果を上げないのだ。

ともあれ、聡ちゃんは「目の前に置かれた山をただ登る」という精神的省エネぶりで、苦労を苦労をも思わないまま、周囲もよく分かっていないまま、かなりの「成果」を上げてしまってきているのである。末っ子として甘やかされた…というより、「ほったらかされた」故のアドバンテージかもしれない。がむしゃらな欲がないからこその境地。

苦労、と言えば玉枝おばちゃんは苦労し続けたな。
苦労したから一時は精神が病んでしまった。歪んでしまった。それは決して苦労の「勲章」ではない。できれば亡かった方がよかったもの。

けれどその病いから、糸子や奈津の愛情によって(それはそもそもが、かつて玉枝さんが彼女たちに与えた愛情の帰還なわけだが)立ち直ってからは、ポジティブになり、安らかな晩年を迎えることが出来た。
苦労したからこそ優しくなれた、という側面はもちろんあるが、ただそれは立ち直れたからのことであって、病んだまま歪んだままになってしまうことだってあり得る。もともと優しい玉枝さんだったから、立ち直るための愛情を得ることもできた。苦労が優しさを培ったのではないのだ、だぶん。

このドラマで初めて、死に顔を見せたわけだが、糸子目線のこのドラマにとってそれは、かつては糸子にとっても死がどこかよそ事のものであったのに(たとえ父親や夫が亡くなっても)今やそれが自分の射程距離に入った、ということでもあろうか。どうやって生きて死ぬのか、糸子がそれと知らずにも意識し始めた心象の現れ。

八重子さんの「ほっ…とした…」も凄いな。
もちろん、自分が解放されたという思いがないわけではないだろうが、それ以上に、玉枝が最期の時を幸せに過ごし、そして安らかに逝き、夫や息子たちに迎えられたであろうということに対する安堵。解放されたのは八重子だけではなく、むしろ玉枝の方なのだ。
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2012年02月28日

第123話 戦争の作る本当の地獄

(経理について)「このへんに直ちゃんと先生」て恵さんが言ったとき、「直子と一緒け!」と突っ込まないのかな〜と思っていた私です。さんざ罵倒してたのにねえ。

詳しく調べはしていないが、リアル糸子はその不倫相手とはずっと関係が続いていて、娘たちもその相手を「おっちゃん」と呼んでなついていた、とどこかで読んだ気がする。だからNHK的にうまいこと操作して、北村をその位置に持ってきてなんとか格好をつけたのかなと思っているのだが、周防さんの奥さんが亡くなったと知らせたくても知らせきれない北村というのは? まあそんなことはどうでもいいけどね、完全なドキュメンタリーではないのだから。

きょうのラストシーンはなかなかに切なかった。
けれどついうっかりツイッターのTLを見てやや興ざめ、というか若干の腹立ち。安岡のおばちゃんのセリフにくだらない脊髄反射をしている人たちが多いので…。
曰く、反日だ、日本を悪者にしている、勘助は頑張ったのに、NHKは特定思想を植え付けようとしている!云々。

アホかいな。

日本が悪い悪くないの勘助が悪い悪くないのという話ではなかろう。優しい人にとっては、人から虐められるより、人を傷つけるほうがよほど自分が傷つく、ということだ。どちらがいいとか悪いとかとは違う次元で、戦争になってしまったら、一方的に自分がやられているわけにはいかない。「やる」しかなくなる。戦争において「やる」とは人を殺すことである。しかし心ある人なら、たとえ勘助ほどの「ヘタレ」ではなかったとしても、それで自分の方が深く傷つくのは当然である。自分が虐められた傷ならいずれ癒えもしよう。しかし自分が「やった」ことによって負った心の傷は癒えがたい。もちろん「日本でない側」の人だってそういう立場に立ったときは同様に傷ついただろう。

TL上で、これまで楽しく見てきたのにぶちこわし!みたいな意見をも見るが、これまでだってこの番組は一貫して戦争には当然ながら否定的で、それでどれだけ人が傷つくかを描いてきた。それを別に抵抗なく「楽しく見ていた」人々が今日のおばちゃんのセリフにだけ反応するのは、まさにアホか、でしかない。
おこちゃまなのねえと思う。人の心の機微というものに踏み込むことがなく表層的な反応しかしないたぐいの人々。
戦争で傷つくのは、負けたからでも、侵略だとか世界から批判されるからでもない。どんな大義があろうと、その末端で行われていることは、人が人を殺すということだ。人を殺しても心が傷つかないのだとしたらその心はすでに病み切っている。勘助はむしろ心が正常だったから、病む過程を経ずに壊れてしまった。
戦争の大義がどちらにあったかとかを云々したい人は、その大義の重要性を信じているわけだが、そんな大義なんざどっちにもない。人を殺していい大義なんてあるわけない。

まあもっとも、そういうあほくさい…いや、アホという言葉を使うのは愛情ありすぎだな。くだらない反応をする人はそう多くはない(とはいえいらだちを覚えるほどにはいる)。殆どの人は安岡のおばちゃんの言葉の意味をまっとうに受け取って心を震わせているようだが。

それにしても、結局糸ちゃんは、かっこよく引退するチャンス?を逃し、世話の焼ける娘たちやその他の人々に引き続き頼られている。それこそが長寿でずっと現役で活躍できた要因だろう。きのうも「ジョニー」やら「ナナコ」やらにおかあちゃんおかあちゃんと頼られている描写があった。聡子が連れてくる男の子たちもそうであろう。千代さんもやってくるそういう子ぉらに食べさせ飲ませることで自分が幸せだ。だから長生きしている。

人は人を傷つけると自分が傷つく、そして人を助けると自分が生きる。何度も何度も書いてきたが、人間は、他の存在のためになることによってこそ、自分の居場所を確保し、生きていくことが出来るのだ。むろんその「人のため」はどんな小さなことだっていいのだが。それに常に利他でいて自己犠牲をしろと言うことではない。まずは自分が幸せな気分になり、そして周囲も幸せな気分になる、それで十分である。

だがその同じ理由で、人をあやめてしまった意識に苛まれる勘助にとってはこの世が地獄になる。戦争はたとえ勝っても、いわゆる大義があっても、地獄を作るのだ。
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2012年02月24日

第120話 カッコつけなきゃね

ものすご〜〜〜〜〜くサボってました。精神的に不調、…というほどでもなく、ものすごく忙しかった…というほどでもなく(いやそれなりに忙しいんですけど。基本的に朝、できるだけ瞑想とかそういうのしようと思っていて、それで時間が融通しにくいというのもありました)、もちろんこのドラマにノレないというわけでもなく(毎朝楽しみに見て、それなりにいろいろ考えて)、単にほんとに、「サボってた」んです。てか復帰のタイミングがつかめず(?) 
まだなんか本調子じゃないんですが、リハビリ(?)的に、ささやかなものだけでもUPします。持続できるかどうかまだ分かんないんですが…。今までの分もいろいろ考えたことがありますが、とりあえずは今日の分だけの感想。
****

比べるのもおこがましいぐらい私の方はスケールが小さいものの、自分が第一線を退くという事態になる、またはそれが近づいている寂しさ。若い人たちが社会の中心になってきて、自分の在り方がすみっこに追いやられてしまうような感覚、これがものすごくよく分かる。まあ糸子のように本当に押しも押されぬ第一線にいて徹底的にやってきて、譲る相手も自分の娘、ならもっと私自身は納得がいくんじゃないかと中途半端な我が身を省みて糸子以上に忸怩たる思いが密かにあるのではあるが。

昨日の放送で糸子が「ほらみたことか」と言ったときに北村が
「ばばあの決まり文句やな。これからの人生そればっかりで生きていくつもりけ」
と言った。これが鮮烈な印象。
経験は重要だ。強みである。けれどある境界を越えると経験が邪魔になる。経験から判断して全て分かったような気になる。そしてそれを後進にも押しつけたくなる。押しつけるなんて気持ちはさらさらなく、親切な忠告のつもりであっても実際は押しつけになってしまう。
けれど状況はいつも同じではない。同じ時代にあってさえも異なるはずで、しかし時代が違ってくればますますだ。経験からの判断がズレてしまう恐ろしさ。同時に、知らないうちに守りに入ってしまう恐ろしさ。

それが分からず、経験からものをいって「偉そうに」してしまう。冒険を避ける傾向も出る。
「ばばあの決まり文句」だ。この一言がほんとに突き刺さる。ばばあとか年寄りとかバカにするな!と怒りたくなるが、まさにばばあ(もしくはじじい)でしかないのだ。

ばばあやじじいであっても当然ながら、世の中で活躍したい。少なくとも自分が役に立ちたい。そういう気持ちが衰えることはない。…というか、ばばあだから、じじいだから、もうおとなしく隠居しよう、と思ったらそれはそこで終わりだろう(終わりにしてしまうのも必ずしも悪い判断ではないと思うが)。だが自然に進んでいっても時代が自分に合ってくる若い頃(というよりやや中年に近い頃か?)とは違う。まさに経験がある意味で邪魔になるのだ。経験の分だけズレてしまう。
とはいえ経験が全く無駄なわけでは当然ない。

経験をストックとしつつ、いちいちそれをリセットして、フラットな地平を歩くべく意識しなければならないのだろう。

今は糸子は寂しく不安でもあり、とはいえまだまだ実際世話の焼ける優子の代わりに業者にケンカ売って(?笑)そうはいいつつ自分がまだ役に立てることにほっとしつつ、複雑な気持ちを抱えている。

しかし、「史実」では糸子はまだまだこれで引っ込んだりしないわけで。これから自分のブランドを立ち上げるとか新たな展開があるということには、ものすごく期待している。
ずっと四六時中第一線であり続け、挫折や寂しさもなかった人なら共感しにくいが、そうではないのだから。このときは「引っ込む」ことを確かに考えていたのだ。けれど結局引っ込んでいない。私だって引っ込まなくていいはず、と思わせてくれる。
よい朝ドラはいつも、そのときの私に必要なメッセージを届けてくれると感じている。今回もそうならいいな。

それにしても、糸ちゃんが善ちゃんの直系であることが可笑しい。いかに自分のかっこがつくかが大事(サブタイは「鮮やかな態度」になってるけど、ようするにカッコつけ(^_^;))。おばちゃんに泣きつきつつ「物件に負けた〜!」て言うのに吹いた。でもかっこつけるのは大事だよほんと。すっくり立って歩くためにはね。それでこそエネルギーも湧いてこようというものだ。

にしても「ツボ」のたくさんあるドラマだな。
「案外静かやったな、もっと荒れるかと思ったけど」
とニコニコ穏やかなお母ちゃんもツボだったし。
「不細工」って言葉もよかったなあ。
業者に啖呵切る巻き舌っぷりも。


posted by おーゆみこ at 11:54| Comment(1) | TrackBack(0) | カーネーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする