2011年12月16日

【カーネーション】第65話 戦争はやっぱりアホらしい

泰蔵さん…善ちゃん…奈津…八重子さん…。(・_・、)

ひたすらに痛ましい。
戦争はばからしい。
義憤公憤であってさえも「怒り」はよろしくない、と書いたが、やはり、戦争を肯定するような考えをもっている人々については私も怒りを禁じ得ない。国を守るとか大切な人を守るためとかいえば聞こえはいいが、前にも書いたように結局は、過分な「欲」が招くことである。攻めてこられてもいいのか、負けてもいいのか、と言う人もいるが、たとえ勝っても幸せにはなれないのが戦争というものだ。もっともっと、多くを所有することこそが幸せなのだという考え方こそ変えていかなければならないもの。分け与えることで皆が幸せになるという思想を、たとえ非現実的な理想主義、平和ぼけ、お花畑、絵空事、などと揶揄非難されても、追求していかなければ。平和だからこそ平和ぼけでいられて、平和ぼけで結構。世界中に平和ぼけを!

きのうは笑うところかと思ったが、火傷の原因をかっこつけて作り話にしたのが今日の伏線だったとは。そうだよ善ちゃん。そんなとこで格好つけてもしょうがないんだ。失敗もカッコ悪いこともぜんぶ正直に引き受けなければ。

ドラマとはあまり関係ないかもしれないが、ここのところ、自分に正直でいることがどれだけ大切かを痛感している。
たとえ自分を支えるために、「鼓舞」するためにであっても、自分の気持ちをごまかすことは結果的に「有害」だと思えてきた。ごまかしてもその気持ちは解消しない。どこかで澱となって、身体にも心にも毒のある気を放ち続ける。このことについてはいずれメインブログの方で書くつもりだが…。

出征でさらに痛ましいのは、自分の気持ちに正直であれなかったということだ。どんなに悲しくても、万歳と言って送り出さなければならない。無事で帰ってきて!とも言えない。必ず帰ってくるから、とも言えない!なんてばからしいことだろう。もっとも、どうしても行かなければならないときに、行きたくない、行って欲しくないと言い始めたらグダグダになって、立ち上がれなくなってしまうとも思いはするが。そもそも、行きたくもないところに行かなければならないってこと自体がもう問題で、やはり「戦争が悪い」って結論になるのだが。
あほらしいが、それが真実だから仕方がない。必要な戦争なんてものはない!

しかし当時の日本では、単に戦争が悪いという以上にあほらしく馬鹿馬鹿しく呆れるような状態だったのだとやはり思う。出征の時に上記のように、無事で帰ってきてと言えないなんてあほらしさの極致だ。お国のために死ね、などとよくも正気で言えたものだ(もっとも今もイスラム圏での「自爆テロ」などそれに類するものがあって痛ましいが)。万一戦死してそれが知らされても家族はおおっぴらに嘆くことさえできなかった。どれだけの精神が病まされたことであろうか。
当時アメリカとかではどうだったのだろう? 日本のように、国のために死ぬべし、と教えられたのだろうか? 出征の時に、無事で帰ってこいと言ってはいけない、などという気運はあったのだろうか?なかったんじゃないかと思うが、だとしたら、やっぱり、「辛気くさ」かった日本は負けて当然、と思うしかない。「気合い」の問題じゃない。いや、気合いの問題と言えるかもしれないが、国のために死ねなんてのは気合いじゃない、単なるやけくそだ。無事に帰ってきてみんなで幸せになろう!というのが気合いであろう。
posted by おーゆみこ at 11:23| Comment(3) | TrackBack(0) | カーネーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月15日

【カーネーション】第64話 それぞれの優しさ

きょうのラストシーンで涙。
先日、善ちゃんの大火傷の後に聡子誕生、の回ではツイッターのTLが「号泣」で埋まっていたが、そのときは私はそんなには反応しなかった。やっぱりあれかな、子供云々は私にとってどこかピンとこないことなのかもしれない。

でも今回、八重子さんと糸子のやりとりに泣けた。…もしかすると彼女たちが泣いていたから単純にもらい泣いただけかもしれないけど((^_^;)私はどうもそういう傾向もあるもんで…)。でも、「ごめんな」と言い合う二人にはほんとにやられる。単純だけど胸熱。
糸子を初めて、愛しく感じたというのもある。糸子にとって、家族はむしろ自分が支えていくべき存在。神戸のお祖母ちゃんお祖父ちゃんは可愛がってくれるけれど、それ以外で糸子が自ら心を寄せたのは、もしかしたら安岡家(ともしかすると奈津)だけだったかもしれない。八重子さんにやつあたりのようなことを言ってしまってまで、「絶縁」の覚悟を決めたのは、そうしなければ自分の心が折れそうだったからだろう。それだけあの玉枝さんの怒りと悲しみが糸子の胸に堪えていた。単純に謝ったりするだけですむような生やさしい傷じゃなかったということだ。省エネの糸子であっても、その傷の痛みを耐えることは辛かっただろう。昨日は無思慮にも「弥生子さんにやつあたりして発散」とか書いたが、「発散」ではなかったんだな。まあ発散と言ってもいいのかもしれないが、辛さが抑えきれずちょっとはみ出てしまった。けれどそれがまた自分に返ってきてよけい辛くなっていた。
八重子さん素晴らしいな。少なくとも糸子の心に淀んでしまっていたであろう悲しみが少しはほぐれただろう。こうやって泣くことはいい。涙は素晴らしい浄化装置。よかったね、糸ちゃん。まだおばちゃんや勘助と元のようになれるかどうかは分からないけど、きっと大丈夫。

勝さんからのハガキを昌ちゃんに読ませる下りもちょっと見ていて辛かった。笑うところなのかもしれないけど、どうか無事で、いやぼろぼろでもいいから戻ってきて欲しい、「それからこってり油絞っちゃる!」
そう。どんなに悪さしても、文句を言えるならいい。心配させられ気を揉まされても、それをはき出せるならいい。でも、そうでなかったら?…いや、今は何も言うまい。

木之元のおっちゃんが善ちゃんについて作り話をしているのを見て、自発的にそうしたのかと思って一瞬感動しかけたが、なーんだ、善ちゃんが自分でしこんだんか。でもいいなあ、木之元のおっちゃんの雰囲気が大好きだ。勝さんにも負けず劣らず「いつも上機嫌」。こういう人がいるとほっとする。
八重子さんと糸子を二人にしてくれる昌ちゃんの気配りもいい。こういう人々のなにげない優しさをみて気持ちがほっこりするのは嬉しい。心を寒々させたくない。小さな優しさを喜べる自分でありたい。

posted by おーゆみこ at 11:21| Comment(2) | TrackBack(0) | カーネーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月14日

【カーネーション】第63話 適度な欲が元気の素

そうそう。辛気くさいのは寿命縮めるし、戦争にだって負けてまうわ。

日本中がこんなふうにたくましく辛気くさくなくあれれば、ほんとに負けなかったかもしれない…てか、負けると分かってる戦争なんかするから日本中が辛気くさくなってしまったわけだが。
今現在だって、戦争ではないものの、それに近いぐらい日本は打撃を受けて沈んでしまってる。そういや震災直後、花見自粛とかいう話が多かったな。それを巡って、被災地の人々からですら、そんなことしなくていいのに、という声があった。こんなときだから楽しめるときは楽しんだ方が、と。電力の問題もあったから夜桜は諦めるにしても、昼間はいいじゃないか、と。
苦しんでいる人がいるのは分かる。だからといってみんながそれに同調して沈まなければならない法はない。元気のある人がますます元気になって、苦しい人々を手助けする余力を蓄えるのがいいのだ。

個人的には私も、いまだに不安と孤独感でいっぱいで(今になってちょっとぶり返している…完全に忘れてしまうのは難しいのだなあ…)精神的に厳しいが、だからこそ辛気くさくならないようにとは心がけている。以前はちょっとした外出だとメークもサボったが、今はいつもそれなりに整えるようにして(まあ年齢的にもノーメークで出歩くには厳しい顔面状況であるという説もあるが)。運動もたくさんしているし。自分で言うと笑われそうだが、あくまで(当社比)であれど、このごろなんか自分の見た目が改善されている気がする。少なくとも自分で自分を鏡で見るのが以前ほど orzでない。(^_^;)
そして自分の好きなものをできるだけ手に入れて気持ちを引き立たせたい。

外面を飾り立てるなんて虚栄ではないのかと、真面目な人は思うかもしれないが、「形」というのは意外に大事なのだ。もちろん外面に興味のない人はそれはそれでいい。でもおしゃれして楽しいと思う人はそれを抑圧されたら心に悪影響がある。
欲をやたらと肥大させてしまったら苦しいが、ほどよくあればそれが生きる励みになる。欲とどうつきあっていくか。目下の私の探求課題だ。
今私は妙に苦しいのだが、その苦しさというのはまさに自分の心が作りだしているもの。広い意味での「欲」、つまり「こうありたい」という望みと現実のギャップに苦しんでいる。孤独の悩みだって結局はそうなのだ。物欲、金銭欲だけが欲ではない。

仏教でさえ、欲を完全になくせ、とは言っていないはずである。欲を小さくするのは必要。
足るを知り、かつ前に進む。
欲とは、適切な速度で快適に走る車のガソリンのようなものかもしれない。スピードを上げすぎたら危ないから、そんなにたくさんは必要ない。けれどなくなったら止まってしまう。ドライブを満足して楽しみながら、先に進む。

戦時中でもいつもきれいでいたい、少しでもきれいなものを身につけたい、という女の子たち…いや、女の子だけじゃないね、そもそもはお祖母ちゃんの発想だったんだし…の「欲」はそういう感じだ。辛い中でも元気でいるために。
国防婦人会がまた四の五の言ってきたりはしないか。でも自分の着物をもんぺにするのになんの文句もつけようがないとは思うけど。

それにしても、国防婦人会でまた思うけど、今でもそういうたぐいの人はいるよなあと時々思う。自分に直接関係のないようなことでもやたらと文句をつける。スポーツジムで、利用者からの質問や要望を受け付ける用紙があって、それが施設側からの回答と共に掲示されているのだが、告げ口的な投稿も多くてなんだか気持ちが寒々した。曰く、館内のコンセントから携帯などを充電している人がいる、とか、水着専用の脱水機で水着以外を脱水している人がいる、とか。そりゃそういうのはよろしくない行為なのかもしれないが、そんなことをアナタが告げ口してなんのメリットがあるのか、と思う。

糸ちゃんは少なくとも、なんであれ人のせいにしない、というのが一番いい。文句をたれたりする前に自分で先に進もうとする。エネルギーが人一倍強いが、何度も書くように省エネで、考えても仕方のないことをウジウジ考えたり、言っても仕方ない愚痴をたれたりしない。かといって必要以上に我慢もしたりしない。さかのぼった話になるが、勘助のおばちゃんに罵倒されて、その後八重子さんにやつあたりしてしまったが、八重子さんは気の毒ながら、そこでそれなりに発散する必要はあったのだ。
そうやって無駄なエネルギーを使わないから、進むことに振り向けるエネルギーがあるのだ。その点はほんとに見習いたい。

posted by おーゆみこ at 11:03| Comment(2) | TrackBack(0) | カーネーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする