2010年12月03日

【てっぱん】第59話 直面してこそ癒される #nhk #teppan #drama

(遅くなりましたが12/9私評部分追記しました)
*******
あおーん。(π0π)(π0π)

<近くの小さな社に手を合わせている錠。
鉄平は、なんであの手紙を捨てなかったと錠を責めている。錠たちが読んでしまったらあかりも知りたくなる、でもあかりが傷つくようなことが書いてあったらどうするんだ、と。
「ちゃんと嘘をつけるんか。どうなんじゃ父ちゃん」
「……」
「ほら!ぜったい無理じゃ、ほいじゃけ、今のままでええんじゃ!」
だが欽也がぼそっと
「鉄平、お前はなにを怖がっとるんね。あかりは簡単につぶれたりせん」

一方あかりの部屋で真知子があかりを説得している。だがあかりはまだ怖い。
「あんたを、生んでくれた人の手紙よ?」
「…じゃけ、怖いんよ。千春さん、ここ飛び出してからどうしとったん?なんで尾道に行ったん?」
「ほうじゃね」
「…トランペット、なんでやめてしもうたん?」
「…ほんま…」
「おばあちゃんのこと、どう思うとったん…」
真知子はだまって、千春のトランペットケースをあけて楽器を手に取る。
「…きらいじゃったん? ずっと…悪く思うとったんなら、おばあちゃん、可哀想じゃ。それに…」
「それに?」
「うちの…父親じゃったひとのこと、どう思うとったん。もし…そのひとのこと恨んどったら、うちどうしたらええ? 千春さんのことも、その人のことも…うち、好きになれんよ」
「……」
「あの手紙読んでしもうたら…ほんまのこと分かってしもうたら…うちは…うちはこのままじゃおれん!」
「大丈夫、なんも変わらんよ? どんなことが書いてあっても、千春さんが、あかりのお母さんで、うちが、お母ちゃんじゃわ。ほいで、どんなことが書いてあっても、村上錠があかりのお父ちゃんよ。田中さんがあかりのおばあちゃんいうのも、変わらん。あんたは、尾道と大阪の両方に家族がおるんよ? みんなあかりのこと、大切に、思うとる」

錠は再び不動明王の社に手を合わせる。鉄平もそれにならう。

「千春さんね、あんたを生んだ後、幸せそうな顔しとった。やっと会えた、言うてね…。じゃけど…急に具合が悪うなってね…お母ちゃん、ちゃんと千春さんにお別れもできんじゃった。あの手紙は…亡くなる前の千春さんが…伝えたかったことなんよ。じゃけえ、ちゃんと、読んであげんとね…」
「…お母ちゃん…」


だがやはりあかりの決意はつかず、結局初音の前には錠と真知子だけがいる。
「まだ…こころの準備ができとらんのです。けど…あの子のことじゃけ、いつか、きっと…」
と真知子。
「ほな、あとはうちらで」
「はい」

あかりは鉄平と欽也とともに店にいる。欽也は、民男が描いた絵に注目する。あかりが、民男が家族を描いた絵だと説明する。
「家族にしてはようけおるの」
「だってうちも鉄兄もおるんよ。民男くん、ここのみんな家族て思うとるんじゃて」
そう言ってあかりは自分で、民男が言った、ぼくの家族は昔と変わった、でも今はめっちゃ増えて自慢できる、という言葉を思い出す。同時に、真知子の「大丈夫、なんも変わらんよ」という言葉も。
「………」

初音は、錠たちに、中身によってはこれはここで処分するしあかりにも伝えない、と念を押している。錠にも異存はない。
そしていよいよ開封しようとしたところに、あかりたちが駆け込んできた。
「それ、開けるの待って」
「やめてほしいんか?」
と錠。
「うちも読みたい」
あかりはそこに座る。
「うちも一緒に、その手紙読みたい」
「ええんか」
「うん。もう二度と読めない、うちを生んだ人からの手紙じゃけえね」
「じゃ俺も読む。俺だけなんも知らんのは嫌じゃけ…」
と鉄平。欽也も並んで座る。

黙って手紙を開封し、広げてみる初音。
「……………」
長い沈黙。
「田中さん?」
何も言わず錠に手紙を渡す初音。
錠もまたそれを見て、何も言わずに真知子に渡す。
真知子はやや微笑んで
「千春さん…」
後ろから覗き込んだ鉄平が
「…これだけ?…」
だが初音の顔にも笑みが浮かんでいる。小さく頷いている初音。
「あかり、…」
促すように手紙を渡す真知子。
あかりが見た手紙には、真ん中にほんの一行(いや二行)

「あかりと
 お母ちゃんのお好み焼きを食べたい」

「……。千春さん!」
あかりは微笑む。初音も優しくそれを見て、泣き笑いの表情。
「うち…食べたよ! おばあちゃんの、お好み焼き、うち、食べたよ」
あかりは初音を見て
「美味しかったよ!」
頬を涙がボロボロ伝う。初音も優しく頷く。

あかりはばっと仏壇の方に向かい、一礼する。そして泣きながら
「ありがとう、……お母さん! ありがとう!」
そのあかりの背中を優しく抱く初音。あかりは初音に抱きつく。抱き合い、微笑みあい、涙を流しあう二人。
錠の目にも、真知子の目にも涙がたまっている。真知子の背中をさすってやる錠、微笑んで錠を見る真知子、手を握り合う二人。鉄平も涙をボロボロ流している。

(千春さんが…お母ちゃんと娘に宛てた…19年目のラブレターですわ…)>

こんな手紙が出てきたら、矢も立てもたまらず読んでしまいたくなる…と思うが、それは私たちがドラマのこちら側にいて、このドラマのことだから絶対に彼女たちが傷つくような内容のわけはない、と思って(分かって)いるからだと思い当たった。
人は、真実を知りたくても怖いのだ。
まったく生々しい私ごとになるが、例の私の、相手の「裏切り」(とこの言葉を使うのはもはや適切ではないと思っているが)に、私は実はもう初めから、きっと気づいていた。けれど必死で打ち消し、数あった「兆候」をなんとかいい風に解釈しようとしたし、あるとき、それが別の人経由でひょっとしたら(今から考えれば)その人を追求したらかなりはっきりしたかもしれない機会があったのだが、私は「逃げた」。そそくさと話題を変えてしまった。

しかも人は、それを知ったときに、自分がどういう気持ちになるかも、予測しきれない。だから怖さが肥大する。
私も、それを決定的に「知った」ら、自分が壊れると思っていた。生きていけないと思っていた。怒り、恨み、そんなことしてはいけないと思っていても、残りの人生を憎しみを抱えて生きていくのだと予測していた。

でもそのときすでに、深く傷ついているのである。初音さんも、それは深く深く傷ついていた。だからこそ、ほんのちょっとしたことでももう立ち直れないと思ってしまう。ギリギリの心で生きていたのだ。私も今から思えばそうだったのである。

だからよく分かる、手紙を読む読まないでここまで「引っ張る」気持ち。
だれにだってそういうことはあるのではないか。
真実を知りたい!といつも単純に思えるわけではないのだ。

けれど。
それでもなお。
真実は力を持つ。癒す力を。
初音さんの場合と違って私は、受け入れたくないことの恐れが「事実」だったわけだが、それであっても私はたぶん、知ったことにより、はっきりしたことにより、その前の状態より「癒された」のである。いや、まあ少なくとも「癒しのプロセスをスタートできた」のだ。

初音さんの場合は幸せだ。千春さんはもう帰ってこない、その事実は切ないものとしてあるが、少なくとも千春さんのことを思うときに襲ってくる苦しみから解放された。20年間、愛しい娘の思い出は常に罪の意識とそして多分怒りとを伴わずにはあれなかった。その苦しみたるやいかばかりか。だがこれからは千春さんの思い出を慈しみながら生きていくことができる。たとえそばにいなくても、愛することができ、そして愛されたことを信じていかれる。

今読んでいる(前にも言及したが)「だからあなたも今でもひとり」という本では、どんなに辛くても、別れた(死別であれ生別であれ)相手のことをしっかり思いだし、愛されたことを思い出し、喜びも悲しみもすべて思いだし、相手への愛を感じ、不在を悲しみ、怒りも憎しみもしっかり向き合い…というプロセスを体験しない限り人は本当には癒されない、と書いている。
具体的に、1週間にひとつテーマを決めて「悲しみを感じる」プロセスを紹介している。たとえば第一週は「出会ったときのことを思い出す」。その章の締めくくりにこうある。「いつか近いうちに痛みは消え、愛だけが残るだろう」。そこから、最初のデートを思い出す、とか情熱的だったときを思い出す、とか、ちょっと考えたら「残酷」としか言えないような「癒しのプロセス」が解説されていくが、どの章も締めくくりは
「いつか近いうちに苦しみは消え、愛だけが残るだろう」
「近いうちに苦しみは消え、穏やかな愛だけが残るだろう」
「近いうちに痛みは消えるだろう。人生はもういちど、あふれんばかりの愛と支えで満たされるだろう」
「近いうちに苦痛は消え、愛の力がもう一度、みなぎるのを感じ取れるようになる」
「やがて痛みは消え、特別な愛を感じ続けることができるだろう」
「近いうちに痛みは消え、また心を分かち合えるだろう」
「いつか近いうちに苦しみは消え、もういちど自分の強さと長所を感じ取ることができるだろう」
「魂が相手の愛と赦しの光を、いっぱいに浴びているのを感じ取ろう。自分の魂の純粋さが、相手の愛の光を受けた花のように、ぱっと開くのを感じ取ろう。生まれ変わったように感じながら、愛の癒しの力に感謝しよう。すぐに痛みが消えて、もういちど自由に愛せるようになるだろう」
「近いうちに痛みは消え、もうひとりではなくなるだろう」
「相手がいつでも自分の一部であるという認識から生まれる、苦くて甘い喜びを感じ取ろう。時間が経てば、思い出すことが辛くなくなると予測しよう。相手への愛が、心の傷を癒してくれる。この愛があれば、新しく生まれ変わって愛で満たされた人生を送ることができる」
「今は想像できないかもしれないが、この経験を生かしてもっと強くなれば、より深い愛を与えたり、受け取ったりできるようになるだろう。まだ、忘れられてはいない。まだ愛されているし、愛することができると、心から感じ取れるようになるだろう」

…つい長々と引用してしまったが、これらはみな本当だと思う。
初音さんにまさにいま、このことが起こったのである。

ほんとうにどうしても、ものすごくパーソナルになってしまって申し訳ないが、たまたま今、私の魂に寄り添ってくれているかのようにこのドラマがあったのだ。
これから、また別離の悲しみに暮れている人が、そしてこのドラマを見損なった人が、いつかいたら、ここで癒しの手伝いができたらいいなと思う。まあまだそんな偉そうに言えるほど私自身も癒され切ってはいないのだが「いつか痛みが消え、この経験を生かしてもっと強くなれば、より深い愛を与えたり、受け取ったりできるようになるだろう」はもうすぐである、と信じている。


posted by おーゆみこ at 13:54| Comment(3) | TrackBack(0) | てっぱん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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