いきなりそうくるんか!と一瞬驚いたけれど、このドラマのコンセプトからしたら当然だと思い直した。
つまり今週のサブタイにもある「あなたの愛は生きています」だ。白のカーネーションの花言葉だそうな。
子供に対する母の愛、が最前面に出されてはいるが、もちろんそれだけではない。
糸子自身も、亡くなってしまった愛する人々、千代さん善ちゃんだけではもちろんなく、勝さんも泰蔵兄ちゃんも勘助も、玉枝おばちゃんも、そして北村も…そういう人々たちの「生きている愛」の中にずっといた。亡くなっても人の心の中に生きる、という言葉は手垢がついた陳腐な響きもあるが、でもそれは真実だ。
人間はその人の肉体的存在が全てなのではない。というよりそれは寧ろ、ヘンな譬えだが「神社」みたいなもの。単なる(?)依り代。
人間の本質は、これはこれまでも他のドラマの私評でも何度も何度も書いたが、生物学的存在の「人=ヒト」ではなく、その「間」にこそある。
相互作用。つまり、自分が発して、だれかが(直接的にせよ間接的にせよ)受け取るエネルギー、そのやりとりこそがその本質なのだ。それを「愛」と呼ぶ。愛はエネルギー。自分の中でも循環するが、外に出せば世界の中で循環する。そのエネルギーはいわば「不滅」だ。死なない。
エネルギーを放出すればするほど、その人の「生」は豊かになっていく。その人の存在は大きくなっていく。「人のためを考えて何かをする」というのはそういう愛のエネルギーを放出するということだ。それを受け取った人の中でエネルギーは不滅に生き続ける。つまり自分がどんどん拡大する。人のために何かをするというのは決して「自己犠牲」なんかではない。むしろ自分をより生かす術なのである。
でももちろん、「自分のために」なにかをすることが悪いわけではない。放出するためのエネルギーを確保するには必要だ。自分が楽しい、好きだ、ワクワクする!と思えば思うほどエネルギーは活性化する。そういうエネルギーは意図しなくなって外にあふれ出す。
「人のために」なにかやっているつもりでも、自分の中に自己犠牲のような意識があったり不機嫌だったりしたら、エネルギーは削がれてしまう。マイナスのエネルギーというものもある。
マイナス、あるいはネガティブなエネルギーを放出したら(たとえば人を中傷するとか)そのエネルギー循環に取り込まれるよね。そういう人もたまに見かける。気の毒にと思う。
そういや今朝ヘンな夢みたな。なんかアバズレっぽい若い女の子に絡まれて、身の危険さえ感じる状況になった。私もその娘に対して非難の言葉を投げつけていた。でもふと、その彼女の脚がとてもスラリと美しいことに気がつき、思わず(別に場を収めようとかの意図もなく、つい)「あらあなた脚がとってもきれいねえ!」と感嘆の言葉を発したら、その娘が突然攻撃態勢を緩めた…てな夢。なんか実際にもありそうな夢だな。
エネルギーを放出するのは「自分」だから、逆説的だが、相手は関係ない。自分一人でできることだ。人間関係に恵まれていないと感じている人にだってできる。相手が「与えてくれる」のを待っていてはだめだ。待つ必要はないし。自分が出せば良いだけである。エネルギーというのは不思議なもので、出せば出すほどまた湧いてくる。そして人に到達したら、自分にも返ってくる。必ずしもその人から返ってくるわけではない。エネルギーは何しろ「循環」だから、どこか他から回ってくる。だから相手が返してくれるとかくれないとか気にしないで出し続ける。「与える」というより、単に「出す」。
糸子はそうだったと思う。「与える」なんておこがましいことは考えてなかった。ただ、出した。自分がしたい、という動機。それでエネルギー放出しまくり。だからその循環が大きな大きな大きな流れになって、沢山の人を巻き込んだ。その全ての人の中に糸子は生きている。
病気から一度生還したあとに、世界がやたら「きれえに見えた」というのは、よくある、「有り難みを感じた」というだけのことではなく、自分が源となったエネルギーの循環が見えるようになったということなんだろう。「自分の存在」が世界に充ち満ちている。それが分かった。この「依り代」たる自分の肉体が滅びても、それはなくならない。
糸子は、つまり小篠綾子さんは、生来そのエネルギーが大きい人だったからその循環も大きくなったのだろうが、だれだってエネルギーを出すことはできる。「人のために」なにかをしてあげなきゃ、と力む必要も実はない。お金やものを提供しなきゃいけないということでもない。ボランティアで働かなきゃいけない、ってことでもない。自分がワクワクしているだけだっていいのだ。ワクワクしていたらそのワクワクを隠さずに、笑顔を見せれば良いだけだ。とりあえずそれだってエネルギーの放出。
たとえば、今週あさイチがない(あるいは録画放送になってる)ってだけでツイッターのTL上に嘆きが多々見られる。
「いのっちたちと感動を分かち合えないなんて!」
私もそう思うが、つまりそれは、いのっちたちは番組を見て感動して涙目になる、それを視聴者に隠さず伝える、それだけで「エネルギーを出し」、人々はそれを受け取って少し幸せになれたのだ。
余談だが、最近ひとつ懺悔したいことが。
ジムに行くとき急いでいて、エレベータに乗ろうとしたら、中学生か高校生ぐらいの小柄な男の子が、なにやらゴミを足で外に押し出そうとしていた。そして
「マナーが悪いなあ」
とつぶやいた。私は、彼がまだなにかしているのに急いで乗り込んでしまった私のことを言っているのかと思い、かつそのゴミは自分で捨てたのだと思い
ついつい
「自分でしょ」
とつぶやいてしまった。すると彼は気色ばみ、
「あんだと!気分わりいなあ、このババア! ジムに行くのかよ、無駄だよその体形で!」
とか罵詈雑言。私は急いでいたので相手にせずそのままエレベーターの扉を閉めて去ってしまったが、しばらくむかついていた。だがよくよく考えると、彼は誰か他の人が捨てたゴミを外に出そうとしてくれていたのだと思えてきた。それで、これは自分のゴミじゃないぞというアピールで「マナーが悪いな」とつぶやいたのであろう。なのに私が酷いことを言ってしまった。
それからずっとそのことが気にかかって仕方がない。心の中でずっと謝っている。ごめんね。この誤解を解きたい。ツイッターででも書いたらもしかして届くかしらん?
この余談は、もちろん、マイナスエネルギーを放出するとその結果はやっぱりマイナスが返ってくること、の例として書いたのであるが。
さて余談はともかく、明日の最終回は、愛のエネルギーとして存在し続ける糸子の姿を感じることになるのだろうと確信。例によって土曜日で朝から仕事、化粧のタイミングも難しいが、明日は涙はないかもしれない。私評は明日明後日はたぶん書く時間ない。でも近いうち書きます。
P.S.ツイッターでも書いたけど、この86歳もまじ「奇跡」! またアコガレの対象ができてしまった。もっとも私には80代でバタフライの方がまだ実現可能性はあるけど。
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