2016年12月24日

#べっぴんさん あらすじ&私評 第72回 自分が一番自分らしくいられるところ #nhk #朝ドラ

浅田さんの歌が微妙(^_^;)

<クリスマスイブ。保育所でもクリスマスイベントが開かれているが、保育所を辞めることになるさくらは友達との別れが悲しくて泣いてしまう。


紀夫は坂東営業部で、今日付で辞めさせていただくと一同に告げる。潔が、今日からわしが引き継ぐ、と宣言する。


キアリスでのクリスマスパーティ。すみれは仕上がった「キアリスガイド」の原稿を持っていく。最高のクリスマスプレゼントだと喜ぶ一同。

喜代が退院してやってきた。サンタさんがお願いを聞いてくれた!とさくら。


キアリスの外で、連れ立って歩いていた潔と紀夫は、ここからは別の道だ、と互いに気合を入れる。


店に入ってきた紀夫は、すみれにも、一同にも話があると切り出す。そして、坂東営業部を辞めることにした、これからはキアリスの経理を担当すると告げる。

「すみれ。ぼくは、すみれの仕事と家庭がうまくいくように、間に立ちたいんや。きみはここで好きな仕事をするんや。ぼくらはたしかに大事な時間を戦争に奪われた。そやけど、もっと大事なのは、これからや。すみれの人生はあと何十年も続くんや。僕と生きていく人生も何十年も続くんや」

「でも…ほんとうにそれでいいんですか?」

すみれの手を取る紀夫。

「それが、ぼくの幸せなんや。一番自分らしくいられる場所で輝くすみれと、ぼくと、さくらに見せてくれ」

涙をためて「はい」とうなづくすみれ。


そこへパン屋と浅田がサンタの格好でケーキをもって入ってくる。外は雪が降りだしていて、子供たちをはじめ一同ははしゃいで外に出る。ホワイトクリスマスを歌い始める浅田。聞き入る一同。


潔とゆりは事務所で二人、向かい合う。来年は3人やな、と愛しそうにいう潔。メリークリスマス、と言いあう2人。


近江の五十八の実家でも大きなクリスマスケーキを囲んで一同が盛り上がる。

五十八は独りではなの遺影を見つめる。そのそばに野上と一緒に写っている写真をそっと置く。


さくらがすみれに尋ねる。

「お父さんはお母さんのどこが好き?」

「愛に、あふれているところ」

「お母さんは?」

「なんか…なんかな…。ちゃんと見てくれているところ、優しいところ、意外に男らしいところ、家族を大事にしてくれるところ、それから、計算が正確なところ…」

「もうええ」

幸せな家族たち、一人歌う浅田>


微妙、というのはうまい下手とかではなくて、浅田さんの立ち位置の問題。それぞれの家族の幸せな様子を見せながら(明美だって隣に武がいた)浅田さんだけ独り…
。もちろん多くのそういう隣人たちに囲まれて孤独ではないのかもしれないけど、なんか切ない気もする。

そう感じるのは私自身が浅田のように少し寂しい身だからかもしれない。

浅田さんの、とくに最後の、切なさがにじみ出てしまっているような表情がちょっと私にはつらく思えてしまった。

このドラマに限らず、家族の幸せを描くことが多い朝ドラは、好きだし感動もするけど、翻ってわが身を思い寂しくなることも実は多くある。

でも必ずどのドラマにも、「独り身」の人はいて、その独り身も、周りの家族の幸せな姿のおこぼれにあずかる?格好になることがほとんどだけど…
いや、そういう言い方はちょっと皮肉に過ぎる、血のつながった家族ではなくても家族同然の繋がりを持てるという描き方がされると思うけど、そして確かにここでの浅田もそうなんだけど、それにしちゃちょっと表情が切なすぎるぞ。

自分が一番自分らしくいられるところで輝く姿をみせてくれと紀夫は言ったけれど、紀夫自身も得意な経理を担当するという形で「一番自分らしくいられる」ところを確保した。予想通り(というか史実通り?)で佳き哉佳き哉。

その人の一番自分らしくいられるところ、自分らしい形は千差万別だから、それぞれが真剣に探さなければならない。ただし「不満」を原動力とするのではなく。不満にばかり目を向けて、ただ「そこから抜け出す」ことばかり考えているのは不健康な形である。

好きなことに目を向け、自分がそれをもって無理なく貢献できることを少しずつやって行くことで道は出来て行くのだ。
posted by おーゆみこ at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | べっぴんさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

#べっぴんさん あらすじ&私評 第71回:伝えなければ! #NHK #朝ドラ

ん〜。

<夜。寝室にいる潔はふと気配を感じる。父の野上が縁側にニコニコしながら座っている。
どうしたんや、あっちはどうや、と声をかける潔。
お前に会わずに来てしまったなあ、と野上。
無念やった、でも命というものは継がれていくんやと思ったらすっとなった、わしにはお前がおる。
そして野上は、
わしに孫ができるらしいやないか、と言って嬉しそうに
「孫か…けへへへへへへ」
と笑う。

目覚める潔。
朝食だと声をかけられ、五十八とゆりの待つ部屋にいく。
  
五十八に、父親が出てきたと話す潔。野上は何を言っていた、と尋ねる五十八。
無念やったけど心の整理はついているようだった、と潔。

もう一度父に会ったら、坂東営業部を頼むといわれると思った。だがそうではなく、ただ笑っていた野上。
「もし生きていたらそんなふうに笑うんだろう、孫ができたことをただ喜んで。……みんな生きていれば変わる。変わることが生きるということなんやて、おやじの喜ぶ顔を見てそう思った」
と潔。

「潔君の幸せってなんや」
と改めて聞く潔。

潔は五十八ではなくゆりのほうに向きなおって
「わしは、ゆりと、ちゃんと家族になりたい」
泣き出すゆり。そして潔のほうを向いてうなづく。
「洋裁教室も軌道に乗ってきたし、もう仕事はいいと思っている、それ以上に大事なものができたから。これからはこの子をしっかり育てたいと思てます」
家を建てよう、わしらの家を、と潔。
ありがとう、と喜ぶゆり。そんな二人を優しく見つめる五十八。

喜代を見舞うすみれ。まもなく退院できるようだ。

キアリスの前で店を見ながらたたずむ紀夫。お父さんのどこが好き、とすみれに尋ねるさくらのこと、キアリスを辞めさせてください、紀夫さんとさくらに迷惑かけている、とみなにいうすみれの姿を思い出している。

そこへ潔が通りかかる。紀夫を伴ってあさやに行く潔。
浅田はシナモンティーを二人にいれてやり、初めて飲むらしい紀夫に、すみれの青春の味だ、と伝える。これを飲みながら仲間と刺繍などしながらしゃべっていた、そしてここに店を出して、それが今や大急やもんな、と感慨深い浅田と潔。

その場で紀夫は潔に、話がある、と切り出す。

その後紀夫は近江の五十八に会いに行き、坂東営業部を辞めさせてください、と頭を下げる>

忙しく(遊びまわって(^_^;))どうも私評を書いている暇と気力がなく抜けがちになっていてすみません。

ゆりの気持ちはわかるような気もするものの、ちょっと納得いかないところがある。
まあでも、やはり伝えにくいし、怖いのかな。潔は仕事をバリバリしている自分が好きなんだ、と思って、そうでなくなったら自分に価値がなくなる、と考えてしまっていたのだね。それをそう簡単には伝えられないかな。
結局ここできちんと伝えることができたからいいんだろうけど、私はやはり、いいことであれ悪いことであれ、そしてもちろん逡巡は当然だし伝え方にも気を遣うべきだし、タイミングもあると思うけれど、最終的には自分の想いを「伝える」ということが一番大事なことだと思っている。伝えることから始まる。伝えなければ始まらない。

世の中のあらゆる問題…というと大げさかな、少なくとも人間関係における問題は、究極にはコミュニケーション不足に起因している、と思っているくらいである。一人ひとりの世界は違う。コミュニケーションをとったからといって、互いに世界が一致するわけではない。結局分かり合えない、世界観は異なる、ということも多いだろう。けれど、少なくとも互いがどのように考えているのかが分かれば、対処のしようは出てくる。
 
まあそのディスコミュニケーションに基づくすれ違いこそがドラマやら文学やらを生むことになるんだけどね。誤解やすれ違いにも含蓄はある、のだけども。
  
ゆりがきちんと想いを伝えないままで潔から距離を置いたのはちょっと腹立たしくさえあった。潔はいつもゆりのことを考えていてくれているのに。とはいえ、潔もたしかに、これまでいちいち、ゆりの話を聞いても、結局「俺に任せておいてくれ」みたいな結論にしてたか。それでゆりが「わかってもらえない」感を強めたんだな。
  
そういえば幼いころは「思っていることをうまく口に出せない」キャラのすみれが、潔にねだってあさやに連れて行ってもらってはぐれたことで潔が五十八に責められたとき、思いのたけをはっきり伝えた。そしてそれを潔に褒められた。
それ以来、すみれは一番、「自分の想いをきちんと伝える」キャラになっている。
 
紀夫君も今回、逡巡の果てに思いを伝える運びとなった。
「自分が何をしたいのか、何が好きなのか、を知り、それをちゃんと伝える」
これがこのドラマの根底の哲学なのかな。だとしたら大いに共感する。
  
コミュニケーションが苦手な人は多いとは思う。うまく話せない、考えをまとめられない、とか、単純に面倒くさい、とか。でもすみれだってもともとは苦手なタイプだった。今だって控えめな態度ではある。それでも自分の思ったことはきちんと伝える努力をしている。「もともと得意なほうではない」という設定には意味があったのだろう。
でもたとえば紀夫君が大勢の人の前で話すことが苦手だ、ということ自体は克服の必要はない。コミュニケーションの形は様々。それでも、伝えるべき人に伝えるべきことを伝える、のは「苦手」ですませてはいけないことだと思っている。



posted by おーゆみこ at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | べっぴんさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月20日

#べっぴんさん あらすじ&私評 第68回:自分が本当に望んでいるのは?  #NHK #朝ドラ

あーあー。昭一さんそりゃないよ。

<キアリスを辞めたすみれは落ち着いた朝を迎えた。ゆっくり弁当を作り紀夫を送り出すことができる。
さくらが友達に会いたいというので保育園には連れていく。だが保育園は諸事情で母親が家にいられない子供たちのためだから、と年内でやめてくれと言われてしまう。

君枝は大急との打ち合わせに出席している。大急では戦後初めてのクリスマスセールをするので、目玉商品を考えてくれという。

すぐにはいいアイデアが浮かばず、ひとり3つずつ考えてこよう、と君枝、良子、明美。
明美は「キアリスガイド」の執筆をしたかったが、帰ろうとする良子たちに気を使ってか、やはりいったん帰宅した。
だがややあって武への夜食を持ってやってきて、ガイドの執筆を始める。そんな明美の優しさをほめる武。

紀夫はキアリスの経理は引き続き見るという。ただ週に1度だけだ、昭一さんと勝二さんはもっとかかわるから申し訳ないけれど、と紀夫。

ゆりがオフィスに入ろうとすると、中から潔がゆりの妊娠を社員たちに告げている声が聞こえる。ほんまにうれしい、と言っているのを聞いて微笑むゆり。ところが、潔は、子供が生まれたらお手伝いさんを頼むと言い出す。ちょっとまって、私はお手伝いさんに頼む気はない、と入って行って抗議するゆり。なにがいけないのかわからない顔の潔。
心配せんと、わしにまかしとけ、と潔は言うが、ゆりはすぐには言い返せないものの、納得していない顔。

キアリスガイドの執筆が進んだ明美。ところがちょうどやってきた昭一と勝二に見せると、すみれが書いた(とは彼らは知らない)前半をほめ、後半はちょっと文章が固い、と言う。焦って止めようとする君枝にも気づかず、「前半を書いたのは
頭がよくて柔らかい人、後半は頭が固うて面白くない人」とまで言う。悪うございましたね!と怒る明美、慌てる昭一たち。

明美はすみれを訪ね、執筆についてのアドバイスを求めるが、すみれはアドバイスはうまく思いつかない。その代り、自分が手伝うという。家でできることならできるから、と。
  
紀夫の弁当を見て愛妻弁当ですねとうらやましがる同僚。それをみて心穏やかでない顔のゆり。

入院している喜代を訪ねるゆり。なんとなく表情が曇りがちのゆりに気づいて、どうしたのかと尋ねる喜代。つい泣き出すゆり。
「なにをどうしたらいいのか…」

紀夫は相変わらず説明会でもうまく立ち回れない。

帰宅した紀夫にキアリスガイドを少し手伝ってもいいかなと尋ねるすみれ。承諾する紀夫。
その夜、せっせと執筆にいそしむすみれ、それをそっと見ている紀夫。
「すみれの中のキアリスへの想い。それを改めて感じた紀夫君でした」とナレ>

知らなかったとはいえ、書いたのは4人のうちだれかに決まっているんだから、あんな言い方はありえないよね。明美さん気の毒に。

それはともかく。
みんな、「あるべき姿」の呪縛にとらわれてしまっている。世間が思っている、妻の姿、夫の姿。
このドラマの登場人物たちはそれでもそういうところが少ないほうだとは思うけれども。

先週土曜の予告の中で、すみれが「ずっとこうするのが夢だったの」と言ってはいたけれど、それはおそらくこうやって妻や母の役割をちゃんと果たし固かった、という意味なのではないかとその場面からは推測されるけど、そうだとしたら、それもある意味の錯覚だと思える。自分の中にはいろいろな自分がいるから、母でありたい妻でありたい自分も決して嘘ではない。けれどそこには多分に、「こうあるべき」といつのまにか思わされている姿になって、その点で「安心したい」という気持ちがあるのだと思う。真の意味で自分の望みではない。「あるべき」形から離れていたことで居心地が悪かったのを解消したい。けれどそれは自分の魂が求めている「あるべき姿」ではないのだ。
とはいえ、人はその葛藤から学び、成長していくことも事実だから、はじめから「自分のやりたいようにやる」のが最善でもないかもしれない。
ただ、常に、自分が本当に求めているのはなんなのか、今自分がしたいと思っていることは本当に「自分の」望みなのか、と考えることは必要なのかもしれない。外部からの影響で「したいと思い込まされている」だけかもしれない。

さくらも保育園にむしろ行きたがっている。年内で行かれなくなってしまうのはショックかもしれない。保育園に行かせるなんて可哀想、というのも「思い込み」である。すみれが仕事を辞めたことを聞いて喜んで見えたのも、自分が甘えたいというよりも、いつも根を詰めているすみれを心配していただけなのではないか。
紀夫も頑張ったところで、人前でしゃべるということが苦手でなくなる気配はない。苦手をなんでも克服しなければいけないなんてことはないのに。

総じて、自分らしい自分を活かし、かつ相手のことを思いやる、その両立がこのドラマのテーマだと思う。その方向で今の諸問題がスムーズに解決することを期待。  

posted by おーゆみこ at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | べっぴんさん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする